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長い間首都圏高齢者地方移住問題は、地域の方では「地域過疎対策」の一環のように思われていたが、最近の採り上げ方では明らかに現在首都圏にある「将来の高齢者」の処遇の問題である。
7月1日号 北海道新聞5ページの「高齢者地方移住を促進」という記事は、政府が6月30日に行なった「まち・ひと・しごと創生基本方針」閣議決定についてのものである。この基本方針の中で高齢者の地方移住に関連して、医療・介護サービスを備えた高齢者向け住居の整備事業への地方の優先的取り組みを求めることをひとつの目玉にしている。
なにせ東京・名古屋・大阪3都市の人口は日本の人口の3分の1におよぶのだから、首都圏の老齢者問題が重要視されるのはよく理解できる。東北大震災で福島県が受けた災害のうち、老人用施設が受けた被害はとりわけいたいたしいが、その災害地老人施設に住んだおとしよりのかなりの部分が東京都からのものであったことは、災害があって初めて世間周知となった。東京都も問題の「近県処理」だけでは済まなくて、全国的処理が当然の視野に入ったのであろう。それにしても問題を公の議論のまな板に載せたことを喜びたい。
いったい高齢者問題の高齢者とは何歳からか。なんとも厳密にはいいがたいが、常識的に60代、70代、80代の30年間が多くの人間の最後の人生である。さらに最近は、現実的大局的雇用状態からいって、全国的に50代の人間のかなりの割合が「職になくなる」ないしは「待遇が激変する」と思わざるをえない。さらに近年では、30才前後の人間が「事情やむを得ず」生活保護あるいはそれ以下の生活レベルにあることが稀とはいえなくなった。「生活」という意味での「現役以下」を「高齢」に通じる内容と考えると、問題の広がりは広く、かつ深い。急な処方箋はない。ただ国民の各自は自分の位置でこの問題を食い止める努力をするしかない。さもなければ社会が崩壊する。
このホームページで「札幌移住」をテーマにしてきたが、現に釧路の夏季移住に数字としてはっきり現われているように、老人が家族と共に「ひと夏来てみる」というのが圧倒的な傾向である。その動機は様々であろうが、「高齢移住」の下見も動機のひとつであろう。高齢者医療では従来旭川市の取り組みが有名であったが(ここには旭川医大もあるのだ)、今日では各都市はいやおうなく高齢者医療にみな真剣に取り組まざるをえなくなっている。
住居の問題について言えば、高齢者の入居は、不動産業界の一大問題、というより、一大タブーである。それでも保証人が存在する高齢者ならまだよい。保証人がいなければどうなるのか。日常の運動・動作、生活に支障のない高齢者ならまだよい。しかしかなり足腰不自由な人はどうなのか。そして規定の料金が納められない人はどうか。できるだけ前向きに臨みたいものだが、個人では取り組みようのない大きな闇がその先にある。
私は某さんを入居させ、その人が(気丈にも一人で生活していた)10分離れた病院に通院するのを見守っていた。保証人として実子が3人近辺に住んでいるというので安心していたが、この人が最後に入院するために住居を離れた大雪の日に、実子はひとりも立ち会わず、この人が呼んだハイヤーの運転手と大家である私が簡単な入院支度と共にこの人をハイヤーに乗せ、送り出した。それが最後であった。この場合、外面の上ではなんの問題もない。しかしこういう人生の幕の閉じ方は、本人も不本意だったろうし、見ているほうもいたいたしい。しかし誰への何の不平も口にすることなく、「問題なく」終わったのである。