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2025-06-10 16:11:00
まあ、蛇足とぃった方がいいか。(1)で、国民経済学が、経済学に前提されるシェーマとして「生産ー流通ー消費」と示したと書いたが、厳密には、そのように落ち着いて示した国民経済学者は一人もいない。その人たちの全体をみると、「生産ー流通ー消費」と示したことになると総括したのはマルクスである。ではどういう示し方になったかと言うと、それぞれはこの中の一要素を極端に重要というように示して、この全体を見ようとはしなかった。多くは「生産」を極端に重要な要素として示して経済理論を述べ、別の人は「流通」が重要とした(実はこれがリカードだな。ただしリカードは「分配」としてこれを特徴ずけてぃる。マルクスはリカードを「分配の経済学者」と呼んで皮肉っている。でも、あえていうなら、マーケットというものが決定的に重要だととなえた先覚者ともとれる。そして「厚生経済学」を名乗る後世の人がリカードを尊重する遠因もここにある。「リカーディアン社会主義」という後世の人もあったな。)「生産」が決定的に重要と唱えた人の中でもっとも有名なのがアダム・スミスだ。いってみれば「生産の経済学者」だ。「消費」が最も重要と唱えた人はいないと思う。強いて言うならマルクスその人か。消費が再生産につながるという把握は、食料という「生活必要物資」を人類が消費することが「労働力の再生産」を意味する、として、このシェーマを完結・かつ発展させた。この視角は誰でもとれそうに思えるが実際はマルクスに特有のものであった。ただ、「生産ー流通ー消費」というシェーマは、「再生産表式」というものを描くといやおうなくその基本的シェーマであるとはっきりする。ただ、経済学上で再生産表式というものをはっきりと提示したのはフランス人ケネーであって、しかもかれが描く社会は資本制社会というより、一時代前の封建制と資本制の中間、重農主義社会とでもいうものだった。以上いささか厳密を欠く言辞があればご勘弁を。