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2022-11-11 21:37:00
河北新報社『河北新報の一番長い日』つづき。残念ながら、2011年の東日本大震災が、「もっぱら自然災害だった」としたことは取り消さざるを得ない。東日本大震災には「人為的災害の側面があった」、それどころか「結局人為的災害が主要な側面になってしまった」と、言い直さなければならないかもしれない。言わずと知れた、原子力発電問題である。災害それ自体で考えてさえ、宮城も岩手も復興の目鼻はついたが、福島県の海岸部は、いつ復興するものか、住民が現地復帰して曲がりなりにも地域の生活が取り戻せるのがいつの日になるのかすら、明言できそうもない。福島原発に溜まりにたまった汚染地下水の処分についての明瞭な目鼻はいまどうついたというのだろう。福島原発の被った災害は世界中に衝撃を与えた。「日本のような科学が進歩している国ですらこのありさま」という深い反省から、ドイツは原発を廃止する決断をした。ところがいまだに日本は、何やらかにやら理屈をつけて原発を維持しようという考えを捨てない。このような狐疑逡巡が日本で続けば続くほど、東日本大震災の主要な側面は人災だということになろう。人災は人間が起こしたものであるがゆえに、人間がもっとも対処しにくい災難となる。いまでも話題にはなるのだ。当時たまにこういう会話があった。某君いわく、女川原発は、市街地女川がほぼ全滅したのに、ちゃんと生き残ったじゃないか。別の某君たしなめて曰く、女川湾が特殊の地形でもあった。津波襲来当時かなりの数の住民がなんと女川原発の屋根の上に退避した。この人々は助かった。震災当時東北大学はうんともすうとも音を出さなかったが、仙台にいた弟はおそらく東北大学方面から原発にかんするさまざまの思考を漏れ聞いていたのに違いない。であれば、福島の放射能が仙台市までくると確信したのだろう。この河北新報は、はっきり言って福島を二次的に扱った・そもそも社員が平時でも福島に10人といない。都会地と全国紙が原発中心のニュース展開しているとき、河北新報はむしろ岩手や宮城の「普通の」震災を主眼にした・ある意味で当時としてはユニークなのだ。中国人留学生が中国本国の通達で本国に帰ろうとして・踏みとどまった「美談」がこの本に記録されているが、米国本国はいち早く日本は危険とみて、居住している米国人を日本から脱出させる緊急決定をした。おかげでそれまでたくさん日本にいた米国人英語教師がどんどんいなくなってしまって、日本の英会話教育はとん挫した。宮城県は女川原発を擁するので元来発言する能力をもっているが、まるでタブーのように原発を語らない仙台。語ってゆけば話題にきりがないなあ。