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2022-11-08 21:41:00
読書の感想。京極夏彦『書楼弔堂 炎昼』集英社、2016年。たいへん風変わりな内容の本で、立派な装丁に仕立てられた、五百頁余の分厚い本である。しかし古書価格は滅法安かった。開いてみれば、縦書きで、思い切って粗っぽく、ゆとりをもって編集されている。いきなり何か怪事件が起こるわけでもないので、最初気が抜けたような感じで、のんびり書かれている。すぐは読む気が起こらず、長い間書棚に放置していた。このほど、たまたま開いてみて、読み進んでゆくと、これが恐ろしくまじめな内容の小説。訪問者がある書店に入って、書店主に人生の大事を相談するという話。六話あり、明治期の人物が問う人生の大事に、書店主が答えてその「答え」の重要な手掛かりになる本一冊を、訪問者に与えるという話。なにしろ時代を明治期に移して舞台を設定しているところが凝っている。この誰かの「人生の大事」とそれへの書店主の応答が、ある種の一般的普遍性をもっているところが、読みどころであろうか。なにせ著者が文献を通じて得た広範な知識を駆使して描かれていて、生半可にはとてもこういうものは書けまい。(私は言語における共通語と方言の関係を考えていたから、はからずもこの本の著者の見識が参考になった。)内容は詳細にバラしてしまうのはルール違反かと思う。これは推理小説の性質も持つのだろうから。訪問者が誰なのかということだね。クライマックスで「泣き虫さん」という訪問客xが登場する。かつて芥川がこのxを批評した文章を書いているが、この芥川評と対比すると、著者のx評は無限に優しいと思う。しかし考えた。現代でいうとこれは図書館の参考係の役目だ。理想の参考係がいて、図書館はおろか、出版された本全部を、インターネット上で集約して、人生の岐路にある入館者に「これ一冊」を推奨する場面を夢見る。このイメージはある程度、アマゾンやヤフーや楽天やの上に存在するが、ちと商業的だな。純粋にボランティアでは果たせぬかな。我と思わん人、現代の書楼弔堂を考えてください。