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2022-11-04 20:52:00
どの国、どの民族でも、言葉にかかわる歴史的構造がある。こういう特殊構造をその国の知識階級は知っているが、外国人がある国の言葉を観察するときには、容易にはうかがい知ることができないものである。日本語には、古代以来のやまとことばという言葉の層の存在が知られているが、例えば英語の場合にも、英語を学んでゆくうちに、この「英語のやまとことば」とでもいう層の存在に触れることになる。そして、その「英語のやまとことば」と「現代英語」のかかわり方の問題。ここで「英語のやまとことば」という表現をとったのは、それを指す適当な呼称がなかなか見つからないからである。たとえばイギリス英語について、なにが「イギリス英語のやまとことば」かといえば、ヨーロッパ大陸の人間が大挙英国にやつてくる(たいていが支配者としてやつてくる)以前の「土着」の英国民というと、「アングロ族」「サクソン族」とでもいうしかない。かといって「アングロ語」「サクソン語」そのものが「英国のやまとことば」かというと、なかなかそうとも言えない。実は私は米国で英語を学習している際に、英語教師からそういう「感覚」を伝えられた。その人は、「つづり字5字とそれ以内の長さのつづり字の単語を重視するように」と「つづり字の長さ」で伝えてきた。私はこれをさしあたりイデオムの動詞側ととらえ、次いでこの「短い単語」をもうすこし広く考えるようになっていった。こういう感覚の英語教育は、日本ではいままであまりやらなかったのではなかろうか。