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2022-10-29 08:40:00
発音の問題。 日本語が表層が漢文脈という公式層、底流にやまとことばという非公式層、という組み立てになっている現実に変わりはないが、発音上は、いろは48文字で表されるやまとことばが絶対で、漢文脈というものも、結局は漢文をやまとことばの発音で読んでいるというだけのことだ。(だから、話し言葉しか念頭になければ、表記は表音文字で問題なかろうという認識になってしまうのも、当然である。)漢文脈とかいっても、もともとが「訓読」というそれ自体の形式はやまとことばのありようであろうが、ということになる。「発音上は、つまり話し言葉としては、漢字なんぞ要らない」というにも一理あることになりかねない。日本語の発音というのは、世界中の文明民族の言葉のなかでは、非常に単純で易しいものに属するのではなかろうか。フランス語や中国語を比較対象として想定してみるがよい。おそらくは多くの国籍の外国人にとって、日本語会話はマネするのに至難を極めるというものではあるまい。ただ彼ら外国人が一様に感じるのは、日本語の漢字表記が、それ自体ほとんど無意味なのに、とんでもなく無駄な学習を強いるものだと思われることだろう。(実際、日本敗戦後、進駐軍は、「漢字使用が無駄で、その上有害だ」というリポートを日本に突き付けている。)ラジオやテレビで聞いているだけの分なら、漢字なんかどこにもいらないものね。(ただ、言葉というものは、かならず話し言葉と書き言葉という二重の性格を持っており、言葉の自主性、主体性、創造性発揮は、書き言葉に特に強く依存するであろう。ラジオは社説なぞ書かないが、新聞は社説を書くものね。)