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2022-10-27 21:18:00
10月15日の場合、「呪縛からの脱却」と副題を入れていた。(しかし、ではどちらのほうに向かっていたのだろう。)/終戦で父親か゛復員してきた。それにしても、仕事などおいそれとあるわけがない。何もすることのない人々が、路上にたたずんでいるという風景が多くなった。子供もまたあちこちにいるが、何もすることがない。新しい風景というと、時々路上に進駐軍の兵士たちが現れて、なんとはなしにたたずんでいる(それに数名の子供が群がって、「サービス」「サービス」と言って手を出していた・時々大人も一人ぐらいいて、手を出しているのだから情けない。たばこの端切れなりと欲しいのである。)/あるとき私は、家の中で、父に返事をするさいに、「オーケー」と言った。とたんにぶん殴られて、「この家の中で敵国語を使うな」と怒鳴られた。そのあとじゅんじゅんと、なぜ英語などを口走ることになるのか詮索されたので、白状した。じつは数日前に英会話手帳というのを駅前の書店で買ってきた。それを少しずつ口ずさんでいる。ただいま物資不足のとき、物資を持っているのはあの進駐軍だけだ。私は叔父が素焼きに描いている美人画をあの人たちに売りつけて、その代わりに砂糖なり牛乳なりを買いたいのだ。/父は「そういうことは、おとながかんがえることだ」と言った。それ以来片言英語学習はなんとなく許可され、結局こんな具合で始まった商業英語を後年私は商工会議所に教えに行ったりしている。(そのうらはらに日本語学習が疎遠になった。)いま私の畏友某氏が言われるには、その人の父親は終戦時のローマ字論者だったそうで、「お互い、父親の意図には背いたな」と。