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資本への発展
『資本論』の冒頭で、「商品-貨幣」という箇所から、議論が「資本」へ発展する箇所がある。
その「資本」へ発展するとっぱじめで、マルクスは、ここに問題がある、ここで跳べ、と言っている。「ここがロードス島だ。ここで跳べ」。
この箇所は、『資本論』を読む者がたいへん難しく感じる箇所で、なかなか一読できはしない。
ところでマルクスは、『剰余価値学説史』の中で、アダム・スミスは『国富論』の中で労働価値についての理解に迷い、労働価値に「二重の規定」を与えることになった、としながら、スミスが「迷った」ことを激賞している。そして生産過程での剰余価値の発生を事実上把握したとしている。つまりスミスが「ロードス島を跳んでいた」としている。
ではこの経過をわかりやすく説明してもらえば、「ロードス島」が理解しやすいのではなかろうか。
このような「説明」は、経済学説史論という経済思想論の一分野の専門家でないと、容易に果たせることではない。それに適当な本は、藤塚知義『アダム・スミス革命』東京大学出版会、1952年である。この本の第2章「アダム・スミスの価値・剰余価値・論」、その1、「スミスの価値・剰余価値・論における二重規定--『投下労働』価値説と『支配労働』価値説。『分解』価値説と『構成』価値説--」および2.「スミス価値論における二重規定の意義--労働価値説の確立の指標--」(25-38頁)という箇所を読むと、よくわかるように書いてある。「跳べなかった」人が読んでも、「跳んだ」人が読んでもよい。
この論点だけわかりゃいいんではなくて、アダム・スミスの学説の全体を見通しながら書かれている本でわかりたいもので、これは幸いそういう本だ。
(いや、難しい本だよ。ただ、ロードス島だけは跳べる、とおっしゃるかもしれない)
『資本論』冒頭の「商品-貨幣」しか、商品経済を論じているように見える箇所はない(しかももつぱらその形式からだけ論じている)が、資本主義というシステムが商品経済の上に乗っかっているのは確かであり、しかし商品経済だけでシステムとして成り立つというようなものではないので、これを「資本主義的商品経済」と呼んで全然おかしくない。(宇野先生は「資本家的商品経済論」と言っておられる。)むろん宇野先生は上記スミスの二重規定の件はとうにご承知だ。
ところで、この社会に生きる我々は、いま商品経済社会に生きている、「商品市場」に生きていると毎日意識している。これが実は、たんに商品経済でなくて、資本主義的商品経済で、資本主義のシステム、すなわち商品の生産過程で価値のみでなく剰余価値も生産しているというシステムが機能していて、初めて存続する商品経済社会である。
それにしても、資本主義のシステムは、当たり前のことだが、人間をとりまく自然環境が自らを維持し繰り返している働きを続けていることを、当然の前提としている。ところが資本主義というシステムは、これまでの人間社会でもっとも手ひどく自然を攻撃し破壊する活動をするので、これをやめるしかあるまいと、斉藤幸平氏は言われる。
そこで資本主義というシステムの機能を、初学者に帰って、学習してみたいと思うのである。
只今、コロナ禍という事実上の環境破壊が行われていて、これはヴィールス菌という自然の世界と、われわれ人間の世界の共存のありようを性急に求めている。このコロナ禍が行う破壊により資本主義システムがいますっかり機能不全に陥っている。(むろん資本主義商品経済も、うまく回らないでいる。)当面この問題への対応がどうなるか、指導者たちはどういう政策をとろうとするのか、いま選挙で問うている・問われている。
地球の環境保全も、これまた待ったなしで、11月中に対策のための国際会議をしている。こちらもやはり選挙で問うている・問われていることと思う。