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2021-10-27 10:00:00

(3)から続く

愉快なのは、この人が、自分は宇野派からまつたく影響を受けなかった、「宇野派からまつたく影響を受けない環境でマルクスを自由に研究できた」としていることである。それだからこそ、『資本論』について自由な読み方ができた、と言っている。

 日本のマルクス学は、『資本論』の理解は深いが、宇野派の影響が非常に強かった、から経済思想の自由な発展に遅れた、と言っているようである。

 これはたいへん興味深い指摘で、この指摘が分かる点は非常に多いのだが、しかし人情としてはちと宇野派に気の毒な気もする。おもいきり宇野派の偏向を批判しきれなかった努力不足を自ら批判するのみである。それにしても私が愛読している宇野弘蔵『経済政策論』弘文堂など、画期的な本だったな。(他方で批判はさせていただくけど)

 宇野弘蔵『経済政策論』は、昭和16年・1931年、宇野先生が東北大学法文学部助教授の時出版された本だ。資本主義には発生期、発展期、爛熟期があり、それぞれの時期の「資本の客観的政策」は異なった特徴を持つであろうことを論じた本である。私は昭和30年代に、原田三郎先生が「経済政策論」をこのテクストで講義されるのを、法文1番教室で3年間聴講した。なかなかわかりにくい講義内容で、いつもわからないことがたくさん残った。