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2021-10-27 09:38:00

この「前編」には、「日本人はなぜ気候変動問題に関心をもてないのか?」という題がついている。斎藤氏はこのことを、日本人の多くが次のようなメンタリティになっているからだと思っているようだ。

日本人の思想の現状は、生産力の発展の上で将来に解決を見たいが、日本経済が一向に経済成長の可能性を見せないから、いま何を考えても逼塞するしかないみたいな、出口のない逼塞感に囚われている、とみる。この逼塞感を打ち破る新しい思想がいまの日本に必要ではないか。マルクス読み直しは、そういう新しい思想に繋がらないか。こう斎藤氏は、考えているようだ。

この斉藤幸平という人は、日本的にみると、たいへん変わった経歴の人で、そもそも日本の大学は東大に数か月(しかも理科の学生だった)在学しただけで、あとは米国の大学、そしてドイツの大学院で、学者になつている。

 この人は、経済思想への傾斜はすでに在日中にもっていて、いまみられるようにマルクス学者だというほどマルクスの思想に傾斜したのは、まず米国における自由闊達なマルクス思想の研究に刺激されてのようで、ドイツでの蘊蓄、日本マルクス主義への傾倒が、それに続いて起こっているもののようだ。

面白いことに、この人は、日本のマルクス主義思想については、たいへんに限られた接点から(しかし深く学んだというわけだが)しか学んでいない。若い時に学んだ物象化論の広松渉、後年深く学ぶようになった久留間鮫造、大谷禎之介、の名が挙がる。日本的に言うと、初期マルクスの人間主義の影響は強く、この辺がアルチュセールとは一線を画そうとする姿勢になるのであろう。(ある意味でアルチュセールを評価しつつ、しかし一線を画そうとする。これはこの人の『資本論』のみには重点を置ききれない姿勢に通じるのであろう。そうすると勢い、生産様式論を現実には評価していながら、あえて生産様式論をひとまとめのものとはしないで、あえて区々バラバラに扱おうという姿勢につながるのであろう。)