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2020-04-21 08:54:00
いやに古い話題を出したものだと思うだろう。これは、いま読んでいる寺田寅彦の随筆の題である。(岩波文庫、寺田寅彦随筆集第2巻所収)★わたしは大学授業がインターネットを利用した遠隔地授業を当面必至としている話題を持ち出し、これを単に緊急時としないで、もっと大きな目でみた改革に結びつける考えがないと、いまの時代が経過した後大概の大学が高等教育から脱落することになると申し上げている。★しかし私のいう「改革」なるもの、もし欧米人が聞けば、そんなこと、はるかの昔に終わっていることではないかと言うであろう。欧米では十年か二十年か前に現実になっているので。日本だってやる気はあったが、いままでどうもなかなか乗りが悪かった。★寅彦は「蓄音機」の中で、蓄音機の新しい利用方面として、「学校の講義のあるものをしっかい蓄音機ですます事はできないか」という。「毎学年全く同じ事を陳述するだけで済むもの」は「蓄音機でも代用されはしないか」と言うのだから、否定的な批評だ。「もし講義の内容が抜け目なく系統的に正確な知識を与えさえすればいいとならば、その教師の書いた原稿のプリントなり筆記なりを生徒に与えて読ませれば済む」ともいう。★これは講義録という発想だ。蓄音機講義も、遠隔地教育としてなら、これを電波に乗せて、ラジオ放送と言うことになる。日本でも旺文社の大学受験学習講座は深夜の電波に載っていた。昔の一時代、これで立派に教育になっていた。今だってFM放送にすれば、北大近辺に住む学生は、それでかなり北大との連絡が間に合うはずだ。(ついでにいうなら、経費も安い。)★時は100年昔の大正の頃(寅彦の随筆の時期)。当時ハイカラで話題になりえた蓄音機も、時間が経過すれば、只の旧聞。いま私が書いていることも、ほんのしばらくすると、どうしようもない旧聞となる。なーに、今既に、欧米の人間から見れば、旧聞だ。ただ本質的な話題としては、寅彦の指摘がいまでもあたる面がありはしないか。★こうなると内容ですよ。新しい内容を、講義に盛ってゆけるか。あまり変わり映えしないのなら、いっそテレビで聴講できるNHK放送大学の内容を、大学の一般教育の内容として生かしたらどうだ。自信のある講義は生かし、自信のない講義はNHKで代用する。そして大学として自信のあるところに思い切って資源を集中する。できれば有料公開講座を目指したらどうだ。すでに大学は法人化したのではなかったか。(こういう提言、いずれ旧聞となろう。)