インフォメーション

2019-10-08 18:10:00
月曜日・雨・札幌。★デイリースポーツが10月7日に配信した記事「堀江貴文氏 12年間勤務で月給14万円『日本終わった』と嘆く会社員に『お前が終わってんだよ』」が、ネット上で大変な数のツイートを集めている。この形で日本という国家が広範に真剣な話題を集めていること自体が、現今の日本の国家的事件ではあるまいか。★長い年月、月の手取り14万円という収入しか得られない会社員が、こういうことでは「日本は終わっている」とつぶやく。このつぶやきに強く反発した堀江貴文氏が、「君が終わっているんだよ」と批評する。これに対する膨大なツイートの中に、ある「大衆知」が動いている。★この場合、日本の国家社会が「経済的には」「貧乏になってきている」という認識が、前提されているように見える。その「貧乏国家社会」が、個々の国民もまた当然に貧乏であるという認識になるのか、いやそのようには議論は直結しない・個々の国民は各自のやり方や工夫で相当の豊かさを得られるはずだという認識になるのか、議論が真っ二つに分かれているのではないか。★そうすると、「工夫」の有り無しが個々の国民の明暗を分けることになる。★目の前の日本の国家社会が、個々人の「工夫」を強く後押しする性質を強めているのではないかと、考える人々がいる一方で、そもそもそういう「工夫」とかをする努力が日常普段みじめに踏みにじられていると感じる人々がいる。★いまの日本の国家社会が、「登っている」のか「墜ちている」のか、自分たちの問題として真面目に考えてみようではないか。<このほうが本当の憲法論議だろう。>