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2019-05-07 22:57:00
「コンピュータ通信の時代」を閉じたのだが、一度だけ「補遺」を入れさせてください。★映画などに「コンピュータのプログラマー」という人物が現れると、それは無条件に光り輝くようなキャラクターだった。(これはむろん大型コンピュータのプログラマー。大型機など米国国内ですら何台もなく、それに触れるのは特権的な人々である。しかしその大型機の性能は、今日のパソコンを凌げるかどうか怪しいものだ。)★情報化時代として、大学に続々と**情報学部・学科が造られたが、その先生がどこにもいない。誰かが赴任しても、いったい最初に学生にどんなカリキュラムを組むのか、大いに困惑した。パソコンを配置してワープロとかお絵かきとか教育するのがようやくのこと、なにしろ先生は「経歴」だけあっても実力と経験はバソコン少年にはるかに劣る。生徒のほうはキーボードを打つのがやつとこさ。★プログラムと名の付く授業は、もと数学の教師が大型機用のプログラムを授業するが(先生自身それしか知らない)、しかしこうして習ったプログラムが卒業したころ使い物になるのかどうか、誰もわからない。★ふたつの要素を組み合わせた「情報学部」は、教育行政を行っている側からすれば苦心の産物。たとえば当時全国にいくつか成立した「経営・情報」学部・学科。単発の「情報」学部じゃなりたたないから、「経営・情報」としておいて、二つの分野の資源を集めようとした。この思想がうまくゆく前提は、経営に携わる者は当然に情報を駆使するのだから本来的に相性がいいはずだと。それに経営に携わる者はもともと必死に情報を扱うのではないか。情報に携わる者は情報をもつとも応用しやすい経営にすぐ関心をもつのではないか。★どっこい全然そうではない。集まった教員で、情報を必死に操る「経営の専門家」はほとんどおらず、経営に深い関心を持つ「情報の専門家」は極めて少ない。まー習っている学生が、いずれ経営と情報を組み合わせてくれるのではないかと、期待できるだけであろう。★おかしなことに、弁護士事務所のコンピュータ化は各所で進んだし、図書館員で情報の専門家と目される人物は非常に増えた。しかしこれは世の中の大筋に外れる現象だったのか。いっそ経営情報学部はパソコン税務申告でも1年生必修でやっておけばよかったろうに。