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2019-05-05 09:38:00
1980年代末、ワードスター紹介の頃。はからずも「英文とコンピュータ」という関わりが増えた。在道外人英語教師たちとのかかわりも増えた。★英語教育との関係で、どんなソフトを導入するのかという相談で、もめた話題があった。★私がワードスターの導入をお勧めしているのに対して、担当外人と担当日本人は、いま「ターボパスカル」を入れてあるので、それでいいではないかという。「あのね。コンピュータ・プログラムを書くだけの能しかそのソフトにはないんですよ。それは英文を書くソフトではないんですよ」と私。★ある1枚のページに生徒が入力した英文テクストの誤りをチェックするソフトの導入にも私はいちゃもんをつけたが、私の感覚の中には、アメリカ現地で会った「現地英語教師」たちの、私から見れば神業のような英語能力が思い出の中にある。この人たちはさつと見たとたんにミスをすぐに見つけるのだ。(日本にいるアメリカ人英語教師の英語能力は、どれほどまともなものなのだろうか、という「けしからぬ」疑いをすでに持ってしまっている。)英語のありようについてアメリカ人と議論するというのは、いささか思い上がった言動ではあった。★当時は日本伝統の英文タイプライター教育が、英文科や短大英文科から続々と解消されつつあり、他方でそれに代わる「英文を綴り、書く」技術的教育が空虚になっているという過渡期。★日本語ワープロというものが、ようやく発展し始めたが、私は東芝のトスワードという素晴らしい(当時はそう思えた)機械を65万円も出して買った(職場で私ともう一人しか、こんな高い機械を買わなかった)が、3年ほどこれを使った。その後日本語ワープロは続々と安価になり、使い勝手もよくなった。(しかし英文ワープロが必要だという発想は、日本語ワープロ全盛期に、ほとんど誰にもないのである。)★当時札幌は、札幌駅のそばにあるツクモ電機という店が「パソコン文明のメッカ」のようなものだった。子供も大人も何かあるとその店に行った。(ただ、いま回顧すると、札幌で一向に発達しなかった分野がひとつある。日本語処理である。バソコン上のすぐれた日本語処理ソフトは、すべて札幌以外の土地の産である。そもそも言語処理という根本の発想が欠けていた。)