インフォメーション

2019-05-04 09:14:00
私は1967‐8年にアメリカにいたが、このとき感じたアメリカと日本のAI環境の格差が、当時「最低5年の格差」と感じたが、その後この格差はますます拡大したと思っている。当時も今も感じている格差は、AI単独ではなくて、ひとつはグローバリズムの格差、さらには金融経済がますます単独化して猛威を振るうという格差である。★グローバリズムの格差とは、常に「国民的」範囲でしか物事を考えられないという日本の習性に対する対極。★金融経済孤高の格差とは、金融経済だけで勝手に論理が完結してしまうありようで、世界的にはこういう論法が発達したが、日本では発達しきれないという格差である。★ここに3つの格差を挙げたが、この格差が広がってゆくのは、取りあえずは「日本の遅れ」だが、しかしこういう遅れは、必ずしも日本の不幸ということにはならないかもしれないとも感じる。まー私も矛盾している。この遅れはとりあえずは日本のガラバコス化だが、それで悪いかという開き直りの余地を絶えず残している。★当時のアメリカで痛感した「焦り」は、図書館にある図書の電子化がすでに非常に進んでいて、図書館に出向かないでも博士論文が書けるほどであったレベルに達していたこと、むろんこのデータ化の対象は英文と仏文・独文等の欧文で、これでは日本が・アジアが・置いてけぼりを食うと感じたことである。★身辺でも、ワードスターという英文(欧文でもありうるが)ワードプロセサーの存在である。ワードスターが英文パラグラフを処理するありようなどは、従来の英文タイプライターではおもいもおよばないものであった。★それは英文というものの世界性にかかわるだろうといわれればそれまでである。コンピュータ通信も英文・欧文であれば広く米欧世界に発展する。(当時の日本では国際コンピュータ通信という考え方は絶無である。)★私は日本に帰ったとき、自分の本業は捨て置いて、まずこのワードスターの存在を知らせようとした。ワードスター無料講習会を開いた。ところが英文ワープロに興味を示す日本人は絶無である。来会したのは全てアメリカ人ばかり。当時の日本には非常に大勢の外国人英語教師がいた。そういう方々である。それで私は、英語で講習する羽目になった。ただこのソフトは、ソフト自体にコメント機能が豊富なので(たとえばロールアップ)、そういうコメント機能に気がついてもらえさえすれば操作の要点はすぐにわかる。ほとんどマニュアル不要である。★このとき私は、アメリカで使われている手話や、アメリカの小学校に入学するさいの制度説明やも持参していたが、これに関心をもつ日本人は絶無で、熱心に見てくれたのはアメリカ人ばかりだった。★格差なるものを知らせようとする試み自体が難渋する。