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2019-05-01 21:22:00
北海道新聞社のオーロラ・ネットワークというコンピュータ通信網が成立したのは、ちょうどそのころで、こういうネットワークは必要だが、しかし自分たちだけの手には余ると思い始めた頃だったので、渡りに船。私たちの仲間はそのときみんなオーロラ通信に加入した。★私は当時「シグオペ」といったか、「シスオペ」といったか、オーロラの中に一個のブログを構えた。当時はちょうどソ連のゴルバチョフ大統領の訪日を控えて、北方領土をどうするかというにぎやかな論戦をブログでもやっていたように覚えている。★あれから無慮**年。オーロラのありようも今ではインターネット通信の世界の一部と化している。私はいつの日よりかオーロラから遠ざかったが、しかし初期のオーロラにブログを構えて、加入料を免除され、なにがしかの手当ももらっていたご縁で、それに私と一緒に大挙加入した仲間が多く残り続けているかもしれぬという配慮で、オーロラを使っていないにも関わらずかなりの金額の加入費用をそのまま今日まで負担し続けていた。やっと昨2018年、脱退を申し出て、それが認められた。★オーロラネットワークの歴史はほとんど平成の全期間に及ぶと思うが、それを回顧するのは私の役割ではあるまい。いずれオーロラ自体がやるだろう。★そのころコンピュータ通信の全国大会というのを北海道でやりましたね。「こずかたネットワーク」だのいろんなネットワークが札幌に集まり、熱くネットの夢を語り合った。わたしもオーロラの一角に存在しているご縁で、そういう席に出て、なにかえらそうなことを言っていたが、私のような全くの素人がこういう席に出ていたというのも、今昔の感がある。★もっとも私の周辺もみな似たようなありさまで、ある席で「データベースの大家」という触れ込みの御仁に会ったら、これがその十年前は「労務管理士」で売っていたというだけの人物で私の知己だった。「お互い変わったものだな」と言い合ったが、その時私は何の大家という触れ込みだったか、誰も知るまい。★平成は遠くなりにけり。ある意味でたいへん楽しい時代だった。自分が成ってみたい者になれた時代だ。すくなくとも自称できた時代だった。