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2019-05-01 11:15:00
私たちも仲間で申し合わせて、手持ちのパソコンのRS232C端子を電話線につないだ「コンピュータ通信網」を作ろうという気分が盛り上がり、議論一決、たちまち作ることになった。★「通信網」の中心になるサーバを伴うパソコンをどこかの家に置かなければならない。機械代、電話代など諸費用はみんなで負担するからという約束で、「通信きちがい」だが小遣いは少ないという男のパソコンを本拠(こういう本拠の犠牲がないと、通信網は維持できない)とした。技術に詳しい人間などは2‐3人かならずいるものだから、その点は問題ない。★開始するとみんな楽しく毎日交信して満足していた。内容はたいがい無邪気なことばかり。★ある期間続いたが、やがて本拠が続かなくなった。妹さんと二人で部屋を借りて住んでいるのだが、サーバにつなげた機械(パソコン)が一日中不特定の時間になにやら盛んにカタカタと鳴っている。妹さんが苦情を言うので、彼はやがて機械を押入れの中に押し込んで、布団を厚くかぶせておいた。ところが、よほど厚く布団をかぶせておいても、カタカタと鳴っている音が聞こえてくる。これは人権問題だなと、やめようということになった。しかしそこそこの期間続いた。★後日談がある。私の出身大学1年上の男が理学部を出て、富士通に勤めていたが、技術本部長に出世していた。「君の知る範囲で、パソコンの気違いのような人間がいないか」という。通信ばかりしていれば満足しているという気違いとして、この男を推薦した。たしか浜松町のそばにあった施設に紹介したら、本人は「ただで通信できるなら」と喜んで応諾した。★もう一人、気違いがいた。これは当時たった4Kのメモリーの小さなパソコンを持っていて、これをフルに生かしたプログラム作りに熱中していた。金はないので、毎朝その辺のごみステーションを一回りして、使えそうな古いテレビとか、カセットレコーダーとか、電線とか、拾ってきてこれを生かすのである。この男を豊かな資源の下で起用すれば、かならずやなにか作るであろうと本社に推薦した。早速富士通の誇るプリンター作りに起用された。(ちなみにメモリーたった4Kでも、機械語でプログラムを書けば、相当のものが造れた。メモリーが高価な時代の思い出さね。)