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2019-03-28 18:17:00
わたし大学1年生の教養科目でとった「数学」で、ヒルベルト論を聞いたと書いた。私は幼い時に変わった性質を持っていた。数学の計算が大嫌い。公式の暗記が大嫌い。★公式をせっせと暗記して、問題の数値を公式に当てはめて解いているのが数学なら、数学など科学でも何でもない・単なる労働問題ではないかと思っていた。しかしいざ試験になると、公式を全然覚えていないので、目の前の問題が解けない。その都度定義を思い、公式をやっと作り上げて問題に臨むと時間切れ、ということを繰り返していた。そこで理数系の成績がめっぽうに悪い。(理科も、公式で問題を計算する労働問題が多い。)生き馬の目を抜く競争戦なのに、文科系の高得点で理科系の低評価を補うというよやりようで生き残ってきた。★この一般教養の「数学」で、ははあこれが数学か、それなら数学も捨てたものでもあるまいと思った。この人は学生に計算を全然させなかったが、それでは評価のしようがないからと、最後の2時間だけ行列式を教え、行列式で計算問題を作って出題し、その成績で評価してしまうから悪く思わないでくれと言った。★さて、ヒルベルトのような「公理」から見直して数学を作り替えようなどという大号令を数学界にかければ、このあと20世紀に世界の数学界に起こるのは、「集団で取り組もう」という集団戦の思潮を生むのは知れ切ったこと。されば20世紀は数学の世界も組織優勢、集団優勢となろう。(そして今の21世紀は何かな。知れ切ったこと。***であろうが。)ただフェルマーの定理を証明したワイズ氏その人は、数学界の大勢とは違って、おそろしく秘密主義、孤独主義の人だったらしい。しかしその証明の手法自体は、数学界のあらゆる思潮、手法を利用しているといってよいのてはないか。★ワイズ氏による証明の過程で、日本人の「志村予想」だの、「伊達理論」だのが、重要なキーとして登場したというのも、驚きである。「志村予想」は1950年代の所産だから、私の大学生時代にだって耳にしている可能性はあるのだ。しかしその「志村予想」なるものがよもや後年、フェルマーの定理の証明に援用されることになろうとは、気が付くはずもなかった。当時の日本の本職の数学者たちにも、神ならぬ身の、知りようもなかったろう。そもそもこの志村予想なるものが楕円曲線に関する思考で、その楕円曲線が楕円とは縁もゆかりもなさそうな「モジュラー形式」なるものと「楕円曲線」の「関係」に生じる出来事を問題にするものである。★この一見まつたく関係なさそうな異なった「領域」に起こることが、他の「領域」に起こることと厳密な関係があるなぞという、20世紀中葉の数学界に起こった有名な思潮が、フェルマー定理の解決に重要な役割を果たすのである。★少し俗っぽく敷衍しよう。たとえば歴史学の場合、現実に起こる歴史過程は西洋史、東洋史、日本史にまたがって起こっているであろう。しかし西洋史、東洋史、日本史のそれぞれに相当の学識をもって通じている学者なぞというものは、現実の学者の世界には極めてありがたい(つまり、ない)。極端な場合、ある大学で専門の学会が東洋史、西洋史、日本史とほぼ同時に行われていても、それらの両方あるいはすべてに「敬意を表して」出席する「歴史」学者なぞ絶えていない。これでどうやって三つの分野にまたがる史実を正当に評価しうるのだろうか。非常に決定的な研究は、多くが異なった分野の交わった点に起こる。20世紀のこの問題の解決。集団主義。往々大学閥しか問題に対処できない。個人主義、職人主義は、往々大学閥に太刀打ちできない。(そこへゆくと、数学界は、個人間の交流が多くて、風通しの良い世界らしい。他の学問分野に比べればだが。)