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2018-11-19 23:20:00
なぜ司馬さんが、日本仏教のありよう、特に葬式に関するありよう、を「迷信」と極言しているかを、簡単にまとめておく。この小文は、文芸春秋『司馬遼太郎の世界』1996年、314-336頁に載っている。★そもそも仏教は、釈迦の教えから、インド自体でも変容があり、中国に渡来して中国文化に受容されて変容し、さらに日本に渡ってきて日本でも変容している。★釈迦の頃は、「遺骨に魂が宿っているから、遺骨を拾う」という発想はない。お釈迦さんの墓がどこにあるという発想もない。死ねば火葬されるのが当然のこととされていたろうと。お寺というものもない。「解脱」とか、「空」とかいう思考に、そんなものはあり得ない。死ということについてさえ、釈迦は問われても明言で答えるのを避けた。答えがないということでもなかろうが、しかし言葉で言えることでもない。仏と言っても、形がない。(しかし後年インドで仏を形にするありようが出てきた。)★仏教が中国に伝来すると、形のあるもの(仏像)として受容され、寺という建築物を伴い、国家仏教となって、「効き目」、「功徳」を求めるようになる。★日本に入ってきた仏教は、当初は葬式を伴っていなかったが、やがて「葬式」が始まり、形式として固定するようになって来た。しかしそのほとんどが、本来の仏教とは何のゆかりもないもので、いうなれば「迷信」。僧の戒など、中国から伝わってきたものだが、どこがありがたいのか。「戒名」とは、死んで仏になるのは要は「僧になる」ことだから、「僧としての中国名」をつける・それが「戒名」だろうと。★こういう具合にみてくると、葬式のありようをなにやら固定的な、動かしがたい儀式のように言うのは、どうも大きなペテンにかかっているようなものである。しかもそれを商業主義でごり押しするのは、何おかいわんやだ。だいたいこういう趣旨のことを言っておられる。★門徒として粗末な墓にひっそり収めてほしいと思う心に、つまらない御託を強制されるのなら、当代を以って佛徒をやめようと、わたしもおもいます。★わたしの幼時、わたしの祖母は、寝しなにかならずご詠歌をうたっておりました。祖母の時代には流行歌がなくて、あるいは流行歌代わりだったのかもしれない。毎晩静かにご詠歌をうたいながら死期を待っていたのでしょう。わたしも司馬さん同様、もともと門徒の家です。私の友人に、尊い山にまで登って修行してきた人がいる。「印中日と渡来したことによる仏教の文化的変遷」が、彼の研究テーマだった。しかし身が僧侶で、寺の住職であるという「葬式の主催者」の立場と、それがどうかかわるか。檀家側が一生懸命考えているのに、僧侶のほうは何を考えるのか。とっくり伺いたいと思います。いいかげんなお答えなら、檀家をやめようとおもいますよ。