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2018-09-27 08:09:00
2018年9月27日・木曜日・曇・札幌。★日本ハム対オリックス。午後6時。京セラドーム大阪。ラジオHBC、SТV。NHK第1.★野村克也『弱者の兵法』アスペクト文庫、2011年。によって、元楽天監督の野村さんが、「弱者の野球」をどのように構想されているのかを見ようとしてきた。私に言えそうなことはただ一つ。野村さんの叙述は、「チームの野球」を語るのではなくて、「選手個人の野球(の心得)」を語っているのではないか、言い方を替えれば、「選手の野球」を語る形で「チームの野球」を語ろうとしているのではないか、ということである。この点、栗山英樹さんの『覚悟』なり、『伝える』なりという著書は、監督がチームを語っているのであり、選手に触れることはあっても、それはチームを語るために行っているのであろう。そういう語り方の違いがある。★だから栗山さんはずばりチームのありようを語るから、語り方があまり赤裸々にならないように「おぼめかしい」言い方になってしまう。栗山さんは監督のありようを語るという形で、チームのありようを語ろうとする。それに対して野村さんは、選手を語ることを中心にしてしかチームを語らないので、選手のありようについては考え方がよくわかるが、本来テーマにしていたはずの「チームのありよう」についての「語り」は、なんとなく間接的になってしまう。★要は、選手論は容易だが、チーム論は容易ではないという次第だ。野村さんの本と栗山さんの本を読み比べて、それだけはわかった。★思うに選手に即しての「野球のありよう」であれば、ふだんテレビやラジオで試合観戦をするさいに、放送記者や観戦者が壮んに論評する、例えば投手の配球のありようなどに、よく示されていて、私たちは良くとも悪くともふだんよく見聞している。しかし、チーム評となると、そして監督評となると、...これを大胆にやるのは野村さんぐらいのものだろう。栗山さんは間違ってもそんなことはしない。
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