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2018-09-21 18:30:00
既出野村克也『弱者の兵法』。第3章「指導者の役割とは何か」へのコメント。「弱者の兵法」という点で軌を一にしているとおもわれる日本ハムの栗山監督との比較を、私は意図している。★野村さんはまずプロ野球の球団の指導者を二種に分ける。前者は球団オーナー。後者は球団監督。そして「組織は(球団オーナーという)リーダーの力量以上には伸びない」114頁と、痛快に言い放つ。(私もそうだと思うよ。)そして、そのことを前提として、球団監督に必要とされる能力を論じる。監督の能力におよそ7つあり。品格。人望。度量。風格。言葉。判断力と決断力。知識。最初の4つは野球に興味のあるほどの人なら何となくわかるだろう。それでよろしい。最後の3つが、「おや」という内容だ。★「言葉」。励ます言葉の大切さのようなものだけではないのだ。「自分がもっているノウハウや技術、理論を的確かつ分かりやすく伝えるためには、『表現力』が必要不可欠なのだ。表現力次第で、選手の理解度はまったく違ってくる。だからこそ、指導者は言葉を獲得しなければならない。」135頁。選手に対してだけではなく、フアンにも、ジャーナリズムにも、監督はそういう「言葉」をもてなければならないというのだ。★「判断力と決断力」。これは同じことではない。判断している。それをやると決断する。判断は頭でやる。決断は腹でやるというのだ。★「知識」。142頁で野村さんは自分のことを例にして、選手が素質なり体力なりをとことん磨いてどんずまり(限界)を真に自覚したときに、このあとは智恵しかないと見切る。こういう働きを「知識」と呼んでいるのである。どんずまりまで真に体験していなければわかりようのない境地だ。監督の力能と言いながら、この中には選手としての監督の姿が二重写しになる。栗山さん、あなたにはこれがあるか。もちろんあなたは第5番目の「言葉」という力能では、日本野球界稀に見る傑物ではある。