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2018-08-21 21:47:00
マネーが個人資本間の信用を軸に成り立っていた最期が、日本では1960年台であろう。信用の基本形態が手形流通であった。通貨と手形がぴたりと重なっていた。基本的金利は、手形金利である。経済の基本に手形流通が支える短期金利があって、その上に産業的な銀行および政策的な政府が主導する長期産業投資があった。証券投資はこのような通貨と短期的信用とは一線を画していた。国際的に、国家は閉鎖的である。主に貿易を通してしか経済の国際交流はない。★私の言わんとすることは、個人資本から法人資本へという「画期」は、「経済のグローバル化」ではなくて、それ以前に、手形決済が銀行間振替に変化したときに来ていたということである。★この当時、ローンというものを銀行が扱うとき、割賦払いをアドオン金利で扱う仕方が登場した。この時期の割賦払いの主流が自動車ローンで、毎年の割賦払いをあたかも手形決済を扱うように扱っていたなー。そりゃ、形式上、会社と車の購入者の間の「信用関係」を手形の形式で処理するというわけだ。銀行がこのような「自動車割賦手形」を受け入れる。今日では単純な銀行振込だろう。このアドオン金利の実効金利を計算するのが結構難しくて、ログ計算などしてその結果に驚いたのを覚えている。(アドオン金利は今日でもアパートローンなどに現実に使われているので、数理上の問題点は今も同じく残っている。ただ、世間があまり話題にしないだけのことだ。)☆ビットコインの貨幣性いかにという議論は、当然のことながら、それに先立って、通貨とそれにまつわる信用がどのような内容のものなのかという「見極め」がなかったらおかしなものだろう。ここに書いたのは「話」のトバ口だけだ。非常にクリヤーな部分だ。(ちなみに銀行員はいちいちアドオン金利の実効金利など計算しはしない。上のほうから与えられたしかるべき表をみて実務的に判断しているだけである。)(ちなみに、「金融の事務的専門家」が自分の取り扱う商品の性質やそれにかかわる計算やを自分で知っていることはほとんどない。上のほうから渡された資料を読んで要点を理解しているだけである。だからなにかの勢いで業務自体が電子化されてしまったりすると、事実きわめて容易に電子化されやすいのだが、自分の事務的専門家の立場がなくなってしまう。金銭出納をATMにゆだねたら、銀行員に残ることは。私が預金している北海道信用金庫は、行員がATMの客にも、どうも有難うございましたと声をかけている。きっと北海道信用金庫は、AI化では最後に滅びる銀行ではあるまいか。)