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2018-08-03 23:58:00
私どもの本館アイランドコーポが、シンプルライフを目指すと書いてきた。しかしそもそもこのシンプルライフとは、何なのだろう。ただ安上がりの生活という意味なのだろうか。そうではないという気がしています。★私以前米国の諸都市を歩いて生活したことがある。そこで、長期間は大学の寮などやYМCAなどを借りたが、数日程度滞在する場合は、泊まって寝るだけという都会の名もないホテルを使った。たいていなんとも殺風景な、何もない部屋で、ただベッドがあり、シャワーからお湯が出るだけだった(米国はエネルギーはたいへん安いのです)。粗末な箪笥があり、椅子が一つぐらいはありましたかね。食事は毎日生きながらえるだけなら、街角で安く売っていた。街頭で朝買うフィッシュ&チップスなどは、食いきれないほどの量が来たし、夕食に出入りする大衆的食堂の50セントのトマトスープなど熱々で日本ではこんなうまいものは食えないと思った。それはひどい部屋に当たることもある。カナダ、トロントで泊まった安宿は、窓に戸がなく、隣のビルの同様に戸のない窓と手の届くほどの距離にあって、「いったいどんな奴が何の目的でこの窓を利用しているのだろう」と思った。こういう生活なら、東南アジアに生きようとも、あるいはオーストラリアに生きようとも、そう変わったこともなかろう。健康でさえあれば、気の向くように毎日が送れます。自分が愛して、世話をする肉親もなければ、せいせいとしたものかもしれない。★しかしこれが、求めるシンプルライフだろうか。これはデラシネの、エトランジェの、限られた資金しかない者の生活で、それは、そもそも生活ですらない。★私のかつての思い出は、日本人には初めての企てという夢を追っていた。その志のゆえに、苦しい生活はぜんぜん気にならなかった。そういうのをシンプルライフと私は呼びます。なんらかの宿命というか、業(さが)というか、あるいは志というか、に生きる人は、お互いになんとなくわかるものです。ただ安上がりの生活を求めるという意味ではありませんね。