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2018-06-29 09:31:00
2018年6月29日・金曜日・曇り・札幌。★日本ハム対オリックス戦。札幌ドーム。午後6時。テレビSТV。ラジオHBC、SТV。対オリックス三連戦の初戦。★なにかずいぶん久しぶりの札幌ドームという気もする。最近えのきどいちろう『俺たちの北海道日本ハムファイターズ』河出書房新社、2010年を入手した。2003年から2010年までの日本ハムファイターズを直接の論評対象としている。著者は著名な野球評論家で日本ハムのフアンだ。この時期は、ヒルマン監督時代から、梨田監督時代に亘る。最近梨田監督が楽天を辞職したこともあって、「梨田監督をどう評価したらよかったのか」という問いが脳裏を去らない。しかし私のような素人が立派な専門家を批評できるはずもなかろう。ある年間の日本ハムの采配を振るった方だと敬服申し上げるほかはない。ただ、最近分かってきたことがあった。現日本ハムファイターズ監督の栗山氏は、まるで口癖であるかのようによく言う。「それは私の責任だ」「私に責任がある」。この裏にある言葉は「選手には責任がない。」監督が選手を起用して使っている以上は、選手のプレーの結果について、「監督は全責任を負う」ということではないかと思う。むろん選手が「全力を尽くしている」という前提で。「その選手なりに、全力を尽くしている」という前提で。★およそ監督ならだれでもこれと似た心境にはあるだろうと思われる。しかし栗山監督ほどこの点に徹底している人はいないのではあるまいか。栗山氏は『覚悟』という本を書いているが、これは監督の「覚悟」の重要な内容なのではないか。栗山氏は「プロ野球監督はかくあるべし」という像を描いていて、その像に会うか会わぬかを自分自身を評する厳重な基準に使っているのではないか。この内容は「結果責任」。絶えず自分をも「監督の視線」の評価対象とするような「監督」はそうそういるものではない。少なくとも梨田氏は、才を駆使して懸命に頑張る人ではあったが、この栗山氏のような「監督の視線」はもたないひとではないか。いやさ、こういう「視線」をもつ現在の「野球監督」は、そういるものではなかろう。おもうに今の日本ハム。行き場に乏しく、ここで全力投球しなければその人の現役野球人生はもう望めないだろうという「死士」を大量に結集している(誰誰とは言うまい。わかっているはずだ。)頑張れ北海道日本ハムファイターズ。今年何があっても、来年同じことはないだろう。一期一会だぞ。