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2018-06-21 09:10:00
先にご紹介した岩本 勉『日本一泣けるファイターズの本』の第1章6「ヒルマン監督と選手の心が通じた瞬間」には、ファイターズが久しぶりに全国制覇した2006年当時の、ヒルマン監督の作戦が語られています。★「先発ピッチャーは5回、6回まで全力で行って、セットアッパーでつなぎ、9回はクローザーがぴしゃりとしめる。役割分担がはっきりしたこのヒルマン理論・投手分業制・はすっかり投手陣に浸透しました。」(61頁)この「セットアッパー」とは、「中継ぎ投手」ということですね。当時はセットアッパー武田久投手、クローザー、マイケル中村投手ですね。この2006年日本ハムで成立した投手体制、今の日本ハムは当然のように駆使しているではありませんか。中継ぎに宮西とか、公文とか、数人予定していますね。9回がトンキンですか。ただ、8回が石川ともしているのですが。この投手体制。今ではほかのチームも真似しています。しかし2006年当時だと、日本人選手陣からはこのヒルマンの思想は不評で、「日本的な考え方だと、先発が6回までいいピッチングをしていた場合、なかなか交代させにくい。」(61頁)ということになります。ヒルマン氏は、人間の体力からいって、投手は100球程度が限界だという合理的発想をしていたのです。もっとも今の栗山監督は、あえて6回を超えて投げさせたり、ときには9回まで投げさせていますね。杓子定規ではないのです。★打撃面でもこういうことになる。「1番の森本稀哲選手が出塁して、2番の田中選手が送り、3番の小笠原道大選手が相手ピッチャーにプレッシャーを与えて、悪くても進塁打を打つ。その三塁ランナーを4番、5番が返して得点するというスタイルは、ファイターズの攻撃面での最大の武器です。」(62頁)おや、これは今の日本ハムが当然のようにやっていることではないか。ただ、ちょつと違うのは2番に大田という馬力の強い選手を配していることだ。1番西川、2番大田、3番近藤で、ワンアウト3塁となっているのを4番中田が外野へ犠牲フライを打ち上げて返して1点の先取、という具合に。岩本さんがここで書いているところでは、2番がバントして、ランナーを進めるという発想は実はもともと日本的なものだったと、ヒルマン氏自身は最初、2番がヒットエンドランをかけると好んで考えていた。それを日本選手の好みを取り入れたと。私は思い出すが、もっともそうな正論を当時盛んに述べていましたな。「ヒットヒットと続けることは期待できない。そこをどうつなぐか」とね。たしかにこの打撃の「原型」は今も残ってます。もっとも、今の2番大田の起用は、バラエティを加えたわけですね。いや、アメリカ流ヒットエンドラン作戦に近いんですね。そして1番西川は塁に出ると盛んに盗塁したがるので、日本ハムの相手チームに加える破壊力は、ヒルマン時代よりもすさまじいわけです。(こうして温故知新していますよ。)