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2018-06-05 21:49:00
誰でも、人生に往々大ヒットの機会があるだろうと、思うんです。要は、その時に機会を逃がさなければよい。でも、その機会が今来ているときに、それがわかるだろうか。知らないうちに来ていて、知らないうちに去っているのではなかろうか。日本ハム監督、栗山さんが紹介される三原監督の思い出のなかに、そういう一エピソードが出ています。(この話、栗山さんの『覚悟』の171‐172頁、「判断を間違わないために、いかに平常心を保つか」に出ている)話は、三原監督が初めて後年の稲尾投手に会った(高校生稲尾のピッチングを見た)時のこと。じつは稲尾はあんまり印象に残らなかった。しかし、たまたま三原さんの機嫌もよかったから、ま、いいか、取っておこうか、と思ったという。これが後年「神様、仏様、稲尾様」という救世主になろうとは、神ならぬ身の、知りようもなかったのでしょう。★栗山さんはこのエピソードにコメントをつけて、「ひとは、普段平常心を持っていれば、思わぬ機会をつかむこともできる」としている。そして、「平常心をもっていなければ、監督をやる資格がない」とまで言う。そうすると、実は三原さんに平常心があったから、名選手稲尾を見つけたのだという解釈になる。栗山さんの、あの大谷選手との出会い、そして、あの清宮選手との出会い、素晴らしかったですね。★ちなみに、私が栗山さんの著書にここで言及した仕方は、英文の世界で「パラフレーズ」という手法を使っています。欧米人は他人の著作を引用するときには、逐一そのまま引用するということはしない。学術論文ですらそういうことはしない(これが日本の論文作法との違いです)。論点を取り、頁のみ示す。あくまでも自分の地の文の中に流し込む。