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2018-06-04 17:18:00
★私が思うに、三原さんという人は大変なカリスマ性を持つ人であった。かって西鉄の監督時代、こんなエピソードがあった。ある選手に、次にカーブが来るから打てと指示した。はたせるかなカーブが来て、ヒットを打った、と打者は後で言った。ところが、投げた投手に聞いたら、あれはカーブではなかったという。投げた本人が言うのだから間違いなかろう。そうすると打者が打ったというカーブは、どこから誕生したのか。栗山さんの場合は、三原さんとは違って、カリスマ性はないな。★三原さんの思い出はこの栗山英樹『覚悟』という本の中で、頻繁に語られている。★そのひとつ。「背番号」。栗山さんは日本ハムの監督就任を受諾したとき、背番号を自由に選べることになった。選んだ番号は80番。これは栗山監督が私淑する三原監督が、最後に着けていた背番号だった。栗山さんはあえて三原二世になったつもりだろう。(83‐84頁)しかしどういう点で「三原を継ぐ」のか。★もうひとつ。「常識離れ」という箇所で書かれている。(84‐85頁)バッターの「打順」決定を事例にしている。「常識」ないし「先入観」では、1番バッター、足が早くて選球眼がよい選手を、2番、器用で小技が利く選手を、3番、打率の高い選手を、4番、ホームランの打てる選手を、5番、勝負強い選手を、となるかもしれないが、この発想にとらわれないで、監督は広い視野をもつとよいという。現に今の日本ハムの打順は、2番打者に大田という馬力の強い選手を置いている。栗山さんは時には1番にとんでもない起用をする。以前対ソフトバンク戦で、1番大谷を起用したことがあった。同じ個所で、打者に打て・待てを指示するときに、当然「打て」とおもわれるとき、「待て」を指示する場合があるとしている。★「簡単に定石通りのバントはしない」(95‐96頁)私たちはこういう場面を日ハムの実際の試合でよく見かけるね。★ここに私は勝手に書き加えるが、「打たれた投手」を変えるときも、こういう監督の判断が働かないだろうか。打たれた後、じっと踏みとどまって、投手が回復するという粘り。投手がプロであり続けるのなら、こういう踏ん張りが必要だ。かつて大谷などは、ポカスカ打たれた後立ち直った場面がよくあった。もっとも杓子定規にそうすればいいというのではない。