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2018-04-15 23:27:00
以前、『今昔物語集1』を買ったことを話題にしましたね。あれから少しずつ目を通してきて、今「第35話」まで来ました。仮名が振ってあるし、注がつき、現代語訳がついているので、なんということなく読み進めます。各話の題は、たとえば第35話の場合、藤原伊勢人始建鞍馬寺語第三十五となっています。題の組み立ては、藤原伊勢人(主語)始建鞍馬寺(始めて鞍馬寺を建てる)語(物語と考えればよい)第三十五(第35番目の物語)のようになります。判で押したようにこういう組み立てです。この読み方は、まさに漢字かな交じり文で、わが文章表現の基本なのでしょう。★『今昔物語集』のほかの巻も買おうと、書店に行ったら、その書店では岩波書店版を売っていた。アカデミックにはどうか知らないが、素人の私には小学館版の編集がとても読みやすく感じられます。そこで急遽『今昔物語』の他の巻を買うのはやめて、小学館版、『御伽草紙集』『古今和歌集』を買った。これがとても面白く、『御伽草紙』はすでに「猿源氏草紙」まで読んでいる。なぜ和歌の本なぞ買ってきたのかというと、古文を読んでいると当然のように和歌がいろいろ挿入されてくるので、和歌を気にかけないではいられない。そんならどうせ一番有名なものを手にしてみようとしたのが、この『古今和歌集』。歌というものはすらすら流し読めるものではなくて、一度に一首かせいぜい二首しか目を通せませんが、なんとなくその歌の組み立てが分かってくるところが面白い。これはさすがに進むのが遅くて、いま巻頭八首目ですが、こういう具合だ。文屋康秀作。春の日の光にあたる我なれどかしらの雪となるぞわびしき。「我なれど」で前後に分かれる。前の句も後の句も二つの意味を持って詠まれている。いま春の日に当たっている自分であるが(東宮の恩寵を得て幸せいっぱいの自分であるが)、自分の頭の毛に時ならぬ雪がまつわりついているのが情けない(老齢になって自分の頭髪に白いものが混じっているのが残念である)。わかりよい技巧を交えながら、率直に心情をうたっているのが、きもちよく感じられます。この「初春」という、うたわれている時期は、北海道の今の気分ともよく合うのです。桜の歌より、このように春の雪を読み込んだ歌のほうが私らの気分に合いますね。★こうやってすこしずつ場数を踏んでゆくうちに、古代人の心が、そして日本語の表記法が、だんだんわかってくるものと思います。