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2018-04-11 19:46:00
朝のNHKドラマ「半分、青い」は、架空の町「東美濃市」で育つスズメちゃんが成長する物語です。私はその「東濃」(正確には岐阜県土岐郡土岐津町高山)で生まれました。スズメちゃんより20年も昔です。★ドラマを見ていていろいろ触発されて思い出すことがあります。ただ、まったく同じ自然の上に、ずいぶん違う生活があったわけです。あえてその違う生活を描いてみようと思いました。★たとえば、「半分、青い」で、土岐川を挟んで、子供たちが糸電話で交信する有様が出てきますね。これが私の時代なら、糸電話じゃありませんよ。手旗信号ですよ。なんでまた手旗信号が流行ったかって?本土決戦に備えて、少国民(国民学校に通う年齢の国民をこう呼んだのです)も戦力たるべく(兵種でいうと通信兵ですね)相当の離れた距離で通信する練習をするのです。大真面目ですよ。公的にはすべてが戦争のために存在したのです。同じ時に当時の町内会は(隣組。公的には大政翼賛会の下部組織とされ、本土防衛のための民間の基本的軍事組織と理解されていた。生活物資の配給組織でもある。何しろ主要物資が国家に総動員されていたので。)、町内会の婦人たちを集めて消火演習や竹槍訓練を行っていた。(男たちはどこへ行ったかって?戦場に応召されるか、軍需工場に動員されるか、地元におりゃあしません。)こんな非現実なことがありうるかって?だから忘れないで思い出してほしいのです。この日本帝国の「本土決戦」をもろにやることになったのが沖縄ではないか。沖縄を忘れるな。★当時のNHKも、朝のドラマなんぞありません。軍の意向・方針を国民に伝えることが主要で、国民からみれば昭和19年(1944年)には連日起こるようになった敵機(アメリカ軍の戦闘機、爆撃機)の空襲を知るニュースを聞くためのものでした。当地(土岐津町)は名古屋のそばで、名古屋空襲は目の前の中空に見えるのです。