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2017-11-24 00:26:00
ここ数日、日馬富士の暴行問題が、テレビ、新聞の話題になっている。この問題、思わぬ政治・社会・文化上の大問題を孕んでいるのではあるまいか。★そもそも大相撲の世界に「蒙古出身力士の親睦会」という「世界」がいつの間にか恒例のように存在していて、この「親睦会」の存在があたかも一個の「部屋」のような「秩序」を感じさせるとは。そういうものの存在を日本国民は全然夢想さえしていなかったのではないか。★大相撲で、上位の主要人気力士が蒙古出身力士に占められているという現実は、いやおうなく誰もが知っていることである。相撲協会も蒙古出身力士たちに「礼節」を惜しまなければ、相撲興行が成り立つまい。★「国技」の相撲と、このような現実は、どうバランスするのだろうか。あるいは「相撲」を大改革して、神事としての伝統的相撲と、オリンピックにも通じるような国際的な競技としての相撲に、仕分けるべきか。★貴ノ花部屋から相撲の上位者を育てるためには、貴ノ岩のような「素質の良い」蒙古出身力士を育てるという一戦略が出てくるが、その貴ノ岩が「蒙古親睦会」に所属せざるを得ず、ために「蒙古出身上位力士」の「しつけ」という規律を受けざるを得なくなる。残念ながら非常に「自然」に感じられる。★それなら「熊本県人力士会」だのというのもあってよさそうなものだが、そんなものはない。★これは非常に大きな政治的・社会的・文化的問題を秘めている。そもそも「部屋」だの「年寄」だの、もっと近代化できないものか。