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2017-03-18 21:48:00
小林秀雄『本居宣長』の第24項を読みながら、現代仮名遣いでの「てにをは」の扱いについて普段感じていた不満が一挙に出どころを得た思いがした。★現代の日本に生きる重大な問題提起がこのように学べるものであれば、「国学」は貴重な学問である。私はちょうど世間で、豊中市の森友学園と塚本幼稚園の教育が国家的大話題になっているのをわき目にして、毎日この「国学書」を数ページずつ読んでいた。★この小林著を読むと、国学が天から天下ってくるような性質のものではないことがよくわかる。本居宣長にしても、師にあたる賀茂真淵の学説を丸写しに鵜呑みにしているのではないのだ。賀茂真淵が万葉集を仰ぐのに対して、本居宣長は源氏物語のほうを評価するのだ。★私は国民学校2年生の時に教育勅語を暗記し、天皇陛下の名前を神武天皇から今上天皇まで暗記した。しかしいま本居宣長への興味は、その後の私の人生の中で、徹底して戦時中の教育を否定し、西洋風のまず徹底して物事を疑う思考の姿勢を経て、たどり着いている。★妹尾河童『少年H』1999年、講談社文庫という本の上巻450頁に、主人公の中学生が、軍事教官田森氏に、マネの絵の模写をしていたところを見つかって、「この非常時に女の裸を描いている奴」ととっちめられる場面がある。もし戦時に源氏物語を読んでいるところを軍事教官に見つかったら、そしてその軍事教官が、この本が全編至る所で男女の交情を描いている本だと知ったら、どんな制裁に会うだろうね。