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2017-02-23 21:19:00
三浦朱門さんは『天皇』という著作で、日本史の古代から現代にいたる天皇の意義を考察しておられるが、たいへん面白い指摘は、日本史上、天皇はその権威を国民に示すのにさほど物理的暴力(権力とか武力とか)を用いていないという点である。天皇の「権威」は暴力をあまり伴わずに国民に納得されてきた、と。暴力を伴わない天皇の権威を「空虚」という表現で三浦さんは指摘しておられる。こういう天皇制を持つことが、三浦さんに言わせると、日本という国の国家的体質であると。★ただ、最後に、三浦さんはこういわれる。もし日本という国家の体質を船に例えると、天皇は日本という国家の重心に当たる。そこで天皇が、日本という国の重心として、高すぎる場合と、低すぎる場合という二種類の危機状態がありうる。(重心がすっかり船から外れているのは論外である。その船は直ちに転覆する。)国際関係に顧慮すること少なく、国内だけで天皇の権威をいや増すような国勢は、船が不安定で客観的には転覆の危険が高い。他方国際関係にばかり振り回されているときには、船の動揺は船の重心が低いから安定しているが、危機への対応の鈍さからかえって国勢を損なうであろう。近代日本の戦中戦前のありようは、船の重心が高すぎる姿、他方戦後のありようは、船の重心は低くて安定していたが、むさぼる惰眠が国勢を鈍らせるありよう、と対比できるかもしれない。★ところで今の自民党安倍内閣の政治はなんだろう。天皇の姿に関していうと、天皇の立ち位置を高く押し上げようとして、かえって日本丸を危うくしているのではあるまいか。国民的天皇という天皇の立ち位置がいま基本的に妥当と思うがどうだろう。★どの政治家も主観的には国勢を高めようとしているであろう。しかし現実に果たしてそれで国勢がどうなるのか、沈着冷静な判断が待たれるのであろう。その判断は国民がする以外あるまい。