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2016-10-22 12:16:00
日ロ関係を考える時、隣国ロシアの外交史を辿るのは、無益ではない。ロシアは帝政ロシア時代に、自国の膨大な領土を売却したことがある。これが有名な「アラスカの売却」であった。1867年、720万ドルで、帝政ロシアはアラスカを合衆国に売却している。★アラスカは後年産金ブームが起こって「ドル箱」になった。今日のアラスカは、シエルガスの開発で、やはり「ドル箱」視されている。今日のアラスカは合衆国の1州となっている。★アラスカの売却は「ロシアの愚行」と考える者は多い。しかしアラスカを手放すとき、帝政ロシアはその時代の「合理性」を以ってアラスカ放棄を決意したわけで、たんにこれを愚行とは批評できない。★帝政ロシア当時、アラスカには「アメリカ・ロシア会社」という、ちょうどイギリスの東インド会社のような植民会社が置かれて、アラスカの資源開発に当たっていた。「アラスカ資源」とは、当時「ラッコの毛皮」で、これをヨーロッパに高値で売りさばいていた。そのやりかたは現地収奪的なもので、ラッコの乱獲により資源が枯渇しつつあった。★ときあたかもクリミヤ戦争で、帝政ロシアはこの戦争に負けて、この敗戦を機会に帝政ロシアの根本的政策を、領土拡張から、現在の領土内での近代産業の発展による国力充実に転換した。★当時の帝政ロシアの手中では、もはや開発利益が望めず、この植民地の維持経営が軍事的・外交的に困難と判断して、帝政ロシアは「アラスカ放棄」を決断した。それが720万ドルというかなり安い値段での売却である。★シベリア鉄道線の充実は、この時の帝政ロシアの政策転換により行われたわけだ。★このようにして「領土を売る場合もある」という歴史が生まれた。☆今後何百年河清を待つとも、ロシア共和国独力でのシベリアロシア開発と極東ロシア開発はむりでしょう。そうとうに思い切った決断がない限り、ロシアの青写真の10%すらも実現しますまい。そしてその間にロシアのヨーロッパ側国境では、このままではロシアの退勢は続く一方です。いっそ極東ロシアを万国に開放した開発地域とでもしたらどうでしょうかね。