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2016-09-24 09:13:00
小西甚一『古文の読解』第1章「むかしの暮らし」・「複数制の時間」(時間の知らせ方)★ 小西さんは宮廷での時間の知らせ方をこう説明している。「陰陽寮という役所に漏刻博士(時刻管理官)がおり、その下役に守辰丁(ときのまもり)がいて、標準時を決めるわけだが、時間を知るため、(人々が)いちいちそこまで出かけるのはめんどうだ。そこで、宮中では、清涼殿の小庭に『時の簡(ふだ)』(時刻名を記した板)を立て、その該当箇所に『時の杭(くい)』(木釘)を差して現在時を示す。」(次に掲げる引用文の中に、『時の杭差す音』とあるのがそれである)時には太鼓で知らせることもあり、その場合には太鼓を打つ数で時間を知らせる。そしてずっと後世になると、寺院の鐘の音が人々に時間を知らせたのである。 枕冊子第274段の抜き書き。「時奏する、いみじうをかし。いみじう寒き夜半ばかりなど、ごほごほとごほめき、沓すり来て、弦うち鳴らしてなむ、『何の某、時、丑三つ、子四つ』など、はるかなる声に言ひて時の杭差す音など、いみじうをかし。」「をかし、とは、趣がある、風情がある、という意味。いみじうは、非常に、ということ。をかしは、現代のように面白おかしいという意味ではない。」小西さんの訳文。「時刻を告げるのは、たいへん興趣がある。極寒のころの深夜自分など、ゴトゴト音を立て、沓をひきずって来ては、弓弦をピンピン鳴らして、『何の誰、時は丑三つ』(とか、『子四つ』とか)、遠くからでも聞こえるような声でとなえて、時の簡(ふだ)に木釘を差す音がするなど、たいへん興趣がある」 「弓弦をピンピン鳴らす」のは、魔除けでしよう。なにしろ昔は迷信深かった。