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2016-09-20 19:09:00
『徒然草』166段 「人間の営みあへるわざを見るに、春の日に雪仏を作りて、そのために金銀珠玉の飾りを営み、堂を建てんとするに似たり。その構へを待ちて、よく安置してんや。人の命ありと見るほども、下より消ゆること、雪のごとくなるうちに、営み待つこと甚だ多し。」まとめは「春の日の雪仏」。短い文章であるし、このままでおおよその意味はわかるでしょう。「小春日和の暖かい日に、せっせと雪だるまを作ってお堂に祭っても、雪だるまが片っ端から溶けてゆくのだから、無駄なことではないのか。それと同じことで、内容のないことをあくせく働いて人間が将来に期待しても、どうにもしかたがないのではないのか」とでもいうような大意になりましょうか。★ これを何に例えたらいいのか。現代の「春の日の雪仏」は何だろう。遺憾ながら、現在の安倍内閣の経済政策が、「春の日の雪仏」ではないかと、切に思います。経済政策としてまじめに考えた場合、生産性の向上があるかどうかはぜんぜん顧慮しないで、ただ資金が超低利で事業に注入されるようにするんだ、という経済政策のありようは、タコが自分の足を(国家が用意する潤沢な資金を)食っているようなもので、多少事業規模が膨れてもそれで将来どうなるという見通しはとても立たないことは、はっきりしています。★その「国家が用意する潤沢な資金」は、前代未聞の国債政策から出ているわけで、こういう「体制」は将来いったいどのような帳尻の合わせ方をすることになるのか、予想もしたくないほどですよ。(世界中が火事場なんだから、日本だけ見ても仕方がない、というのでしょうね。)