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2016-09-17 23:02:00
小西甚一『古文の読解』第1章「むかしの暮らし」・「うまいものくらべ」。★ここで小西さんは、えらく細かく平安朝時代の食べ物を詮索している。しかし私は、皆さんに当時の食べ物の概況を理解していただければ十分と思っています。 ★当時の主食。これが意外と平凡。米や粟(あわ)。貴族は白米を、庶民は粟や玄米を。★おかずのたんぱく質。当時は獣の肉は食べなかった。魚肉、鳥の肉を食べた。この魚肉は、川魚。鯉、鮒、鮎、白魚など。海の魚は京都へ運ぶのが大変なので、干物しか食べられなかった。鳥肉はかなり食べたようです。★ 酒はと言えば、濁酒(どぶろく。いまだってどこかで売ってはいますよ。) ★ 野菜はかなりいろいろ食べていたようですが、調理は、一種の味噌が主流でこれは漬物にも用いた。果物はそれなりにいろいろ食べたようだが、菓子にあたるものは貧弱でありましたろう。★ 小西さんは当時の食べ物が今の食べ物と比べればずっと貧弱だという。それはその通りだろうが、日本の終戦前後は、この平安朝のメニューが恨めしく聞こえるほど、何もありませんでしたね。私は幼時岐阜県に育ったが、当時戦時で、海の魚はもはやどこからも来ない。一度八百屋に入ってきた「サメの子」の干物は、腐って異臭がしていた。米や麦やはほとんど口に入らない。来る日も来る日も、さつまいもやカボチャを食べていました(こういうものでもとにかく食べられれば幸せでした。) 私は平安朝のメニュー以上に、終戦前後の日本のメニューを後世に伝えるほうが大事だと思っています。よく聞きなさい、いま濃尾平野に生きている人々。戦時中は濃尾平野は濃尾の人々を養えませんでしたよ。