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2016-09-13 21:47:00
どう作文するかという話の続きをする。私が米国で出会ったものの中で一番びっくりした「文物」は、英文をパラグラフで把握するというありようである。米国の大学の1年次に「アカデミック・イングリッシュ」という授業が必修であり、そこで英文パラグラフの構成や運用を実習させる。英文はだれでも書くかもしれないが、この授業に当たるものを学習していなければ、大学の授業はとうてい受けられないだろう。私は日本では、やれ文型だ、やれイディオムだ、やれコロケーションだと、人並みには勉強していたが、英文パラグラフの組み立ては、米国で初めて学んだ。★ 途中を端折る。さて日本に帰ってきてすっかり驚いたのは、誰も英文パラグラフなど意識していないことである。よくよく探してみたら、ある米国人が日本で英文パラグラフについて書いた薄い参考書1冊をみつけた。(当時米国からワードスターというソフトを持ち帰った。これも、誰も知らなかった。)★ さて年数がたつにつれて徐々に、英文パラグラフ教育が日本でも行われるようになって来た。★ そのころ(だいぶまえの話です)北大を出られた国語学者で神谷さんという人がいたが、現代日本文を、パラグラフ構造をなすものとして理解しようという活動をしていた。(この人は故人になられた)私はこの現代日本文の手法が英文パラグラフの応用であろうとすぐ感じたが、不思議なことに神谷さんは、この手法が英文パラグラフのまねだとは一言も言わない。なにか昔から日本語に備わった要素であるかのように扱う。★ 私はのちに、かの谷崎潤一郎が、文法というときに当然のように英文法を取り入れているということを知った。おもうに実際に英文法や英文構成法を取り入れていながら、あたかもそれが国語固有に存在していたかのような擬態を示すのが、現代国語の伝統なのかもしれない。★ 英文法を取り入れて悪いとは言っていない。問題は国語固有でも何でもないものを、あたかも国語固有のものであったかのように扱う姑息さである。★これでは万年、国語は成熟できない。