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2016-09-13 21:24:00
文章と言えば、むかし学校で作文を書かされたことを思い出す。他人に強制されて文を書くのは、いつでもいやなものだった。★ それに、今思うのだが、作文の課題はよく与えられたが、「どう文章を書くのか」という指導を受けたことはなかったように思う。★ もちろん作文の「題」はその都度ある。「遠足」とか、「**の思い出」とか。しかしその作文をどう書くのかという指導がない。生徒は、そんなことを聞きもしないし、先生もそんな質問を受けようとは、日本では、夢にも思っていない。★ もしかりにそういう質問を先生が受けたら、先生はどうこたえるだろう。きっとこういうだろうな。「正直に、事実を、ありのままに書きなさい」「君が思った通りのことを、正直に書きなさい」ここで求められているのは、「正直に書くかどうか」ではなくて、「どう書いたらいいか」である。★ 途方に暮れた生徒は、結局のところたいへん自然に、「起こったことを起こった順に」つまり時間の系列で、書こうとするだろう。あるいは、これも時間の変形であるが、出会った場所の名前を順番に挙げてゆく(道中記形式ですね)。★ 私は一度こういう経験がある。以前米国にいたとき、作文と創作の混じったようなクラスを取った。教師が家の写真を示して、「この家のことを記述しなさい」という。私は聞いた。「どのように書くのですか。家を中から見たり、外から見たり、いろいろの書き方がありはしませんか」先生はこう答えた。「その家の外側に立った者が、だれがみてもそう見えるようなその家の主要な特徴を、記述したらどうだろう」英米ではあいまいな指示は出さない。この場合誰が見てもそうなるような特徴の記述を求める。