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2016-09-13 11:51:00
こんな話題の立て方は、とんでもない、とお思いになるかもしれません。この原稿は前回の「和文と英文」の続きとして書いており、丸谷才一『文章読本』を話題に出したから、いきおい丸谷さんが「文章」をなんだと思っておられるかをまず手際よくご紹介するという段取りになるんでしょうが、正直のところそれが不可能なのです。これは間違いなく文章を論じている本ですが、その癖、文章をどう定義しているかなどという「簡潔」な思考では処理できないのです。各章の見出しだけ示していったら、いくらかご参考になるだろうか。1. 小説家と日本語、2. 名文を読め、3. ちょっと気取って書け、4. 達意といふこと、5. 新しい和漢混淆文、6. 言葉の綾、  7. 言葉のゆかり、 8. イメージと論理、 9. 文体とレトリック、 10 結構と脈絡、 11. 目と耳と頭に訴へる、 12. 現代文の条件。★ そうです。この本は全文旧かなづかいで書かれています。筆者がその方が表現力があると考えているのでしょう。筆者にとって現代日本文は、完成度の劣る文章なのです。★ 9、10、12章あたりが、筆者のいう文章というテーマにもっとも近いものかとお思いになるでしょう。じつは私もそう思ったのですが、しかし実際に9,10,12章をどんなにひねくっても、これはとても文章の定義などではありません。もちろん無関係ではない。★もっとも文章の定義に接近しているのが、12の結びで、そこでは石川淳の作品を引用しつつ、文章を「習字」に例えている。「内容がわからなくて、習字がありうるのか」と喝破しているのです。ついに文章はもっとも広々とした場に置かれることになった。ごもっとも。まあ暇なら読んでください。