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2016-09-04 22:05:00
小西甚一『古文の読解』第1章「むかしのくらし」・「平安京の起こり」。★平安京とは、言わずと知れた今の京都の昔の名前だ。今日の小西さんが話題にすることは、都は今の奈良から今の京都にすぐ遷都されたのではなくて、桓武天皇はそのまえにまず長岡という土地に都を遷された。ところが大伴氏の騒動などでケチがついたから、長岡からすぐ京都に遷都することになったというのだ。★さて私は、「長岡」と聞いて、首をひねった。「長岡というのはどこにあるんだろう?」三省堂『古語辞典』の冒頭「付図15 京都および周辺地図」をじっとにらんで探したら、京都市西南に確かにあった。私は最初のうちは、この長岡というのは琵琶湖のほうにあるのではないかと思っていたのだ。★収められている例文は、伊勢物語第84段である。伊勢物語の主人公、在原の業平の母親が、この長岡に住んでいた。その母親が息子の業平に「最近会っていないから、ぜひ会いたいな」という手紙をよこした。手紙の内容は、一首の歌になっている。「老いぬればさらぬ別れのありといへばいよいよ見まくほしき君かな」(年をとると、のがれられない別れがあるということですから、いっそうあなたにおあいしたいことですね)★ 「さらぬ」別れとはどういうことだろう。『古語辞典』をひいたら、「去らぬ」という漢字があててあり、「避けられぬ」という意味だと書いてあった。「さらぬ別れ」か。悲しい別れだなあ。老母は年取っているからいつ死ぬかもしれないのだ。しかも「ひとつ子にさへありければ」というではないか。しばらく子の顔を見ていなければ、「会いに来てよ」というのは当然の情だ。