インフォメーション

2016-09-02 03:07:00
どうして「古文に親しむ」なぞという企画を入れることになったのか。私は長い間、英文のほうにむしろ親しんでいた。職業上、英文に親しむ必要があったからである。しかし、ときどきは思った。古文などに親しむのが本来は自然であったろうにと。★ところで、にわかに古文に親しむ志を起こしても、なにしろ長い間放置していた道なので、どう立ち上げていいものかわからない。易しそうに思われた古文、竹取物語とか、伊勢物語とか、を手にしても、今となっては難しく感じられる(なによりもそれらに取りつく島がない)。ついついおろそかになった。★最近ドナルド・キーン氏の著書(大庭みな子訳)『古典の楽しみ』JICC出版局、1992年、という本を入手し、読みながら驚いた。「なんと私は外人の指導の下にわが古典を読むのか」しかしそういう回り合わせになったうえは、わるびれずやってみよう。(ひょっとしてこれをやっていると、私がキーン氏を逆襲して、英米文学の読み方を私が英米の皆さんに講釈するめぐりあわせになるやもしれないぞ)★ さてキーン著の開巻第1章は「日本の美学 暗示/不均整/簡素/無常」である。キーン氏によれば、「日本人ほど美にたいする感受性のある国民性は他にはないと思う」(前掲書11頁)、「日本人の美意識の4つの特徴を、『徒然草』の中の兼好の考えを取り上げながら論じてみよう。」(11-12頁) つまりキーン著第1章は『徒然草』を日本人の美意識の4つの特徴を把握するよすがとして取り上げようというのだ。★ さあ行軍隊形のまま戦闘に入るのだ。しかし対象はわれわれの古典ではないか。身近に新潮日本古典集成『徒然草』新潮社版、昭和52年を備え、私も『徒然草』を読んでみるのだ。(別に徒然草の版本はどれでもいいのだが、私の身近にはこの本があった。)