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2016-08-10 10:30:00
2016年8月8日に、天皇が生前退位を話題にするお気持ちを直接国民大衆に向けて披露された。国民大衆の側から(古い言い方だと一草莽から)話題にされていることへの意見具申があっておかしくない。この意見具申は直接には仲間である国民大衆あてのものであり、当然に天皇その人が閲覧することもありうるものである。この意見具申がみなに客観的に理解されやすいように、この意見具申は北海道新聞2016年8月9日号の特集記事を踏み台として行うものである。★1 このようなお気持ち表明というありようが、法的にはどのような意味・意義をもつのかということが、第一の問題とされている。それにしても象徴天皇制、すなわち「天皇は日本国民統合の象徴」という規定の文言そのものが、もともと、意味内容を客観的に明らかにしがたい・抽象性の強い・表現であった。この「象徴」を「国旗のようなもの」という解釈は、大変にわかりやすいが、同時に大変に不適当な面がある。天皇その人は人間である。死んだ物質ではない。天皇は(今上天皇は)この象徴天皇制というものに、生きた、具体的内容を与えるべく、自身の生き方を通して努力してこられた。天皇自身の言葉では、「何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考え、同時に事にあたっては、人々の傍らに立ち、声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えてきました」と言われた。国民と共にある重要性の強調といってよい。★2 天皇も人間として当然の人権をもつ。象徴天皇制という立場に制限されて十二分の人権は発揮しえないかもしれないが、とりわけ根本的な点では人権を発揮されて当然である。「生前退位」の話題は、天皇の根本的人権から出発するものであって、「国事上の主張」とは次元を異にし、象徴天皇の人権から提案されることである。それが結果的に国事上の問題でもあるに過ぎない。英国皇室では過去に、自らの配偶者をえらぶことを理由に退位を宣言したひとすらあったではないか。(1936年エリザベス現女王の叔父にあたるエドワード8世の退位、道新7ページ)今回の天皇の「お気持ち」は、八十数歳の老齢が理由である。国民大衆から見て十分に納得できる理由ではないか。みずから象徴天皇の具体的内実を果たすべく努力してきたが、老齢、責に耐えずと。★3 象徴天皇が法規上発言を著しく抑制されているという現実があるのははっきりしているので、であれば天皇と政府とのコミュニケーションが非常に工夫され、検討されていてよいのに、いままで宮内庁も政府も、どれほどそのような柔軟な努力をしてきたのだろう。今回の「お気持ち表明」に至る事情が明らかになり、また新聞・テレビが今回、法的、行政的、政治的、社会的に、さまざまな事情が開示されたのに伴い、「いったいいままであまりにも事柄のあつかいがぎこちなさすぎたのではないか」の思いを深くするものである。★4 ところで、人権という法理はどこから出てくるのか。人権は、日本国憲法がよって立つ根本的法理である。そこへゆくと、現皇室典範はもともと戦前の尾をかなり引きずっている法律で、皇室典範には人権という発想がみじんもないのである。日本国憲法をすら変えようと言い出す有力な政治勢力があるぐらいだから、皇室典範という「下位の法・憲法の下位にある法」を変えようという議論が出てきておかしくないし、必要とあれば皇室典範はしかるべく変えてよいものである。その場合の根本は、皇室典範に人権という法理を入れることではないか。こういう議論は「小手先」で行ってはならぬ。単なる法の変更(特別法)ではなく、皇室にかかわる皇室典範の変更として行うべきであり、そのさいに、皇室典範に人権の思想がしかるべく盛られねばなるまい。