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2016-04-10 15:06:00

21世紀のリーマン恐慌の議論を19世紀の恐慌と比べました。そうすると理の当然として、「20世紀にも19世紀同様の恐慌が起こったのか」という疑問に触れざるをえません。20世紀にも恐慌は起こっていますし、そういう意味では20世紀も恐慌の存在自体を止めることはできませんでした。ただ、19世紀末から20世紀にかけて、重要な変化が経済社会に起こっています。19世紀資本主義はほぼ英国の独壇場で、英国は資本主義を成り行きに任せて発達させようとしていました。いわゆる「自由放任主義」です。自由放任主義が資本主義という経済社会の体制にとってもっともふさわしいものだと、英国社会は考えていたのです。したがって経済恐慌についても、確かにそれ自体は困った現象ではあるが、これが「事物自然の成り行き」であれば致し方のないことだと考えていました。そして確かに19世紀の英国は、10年毎の経済恐慌を乗り切る都度、より大きく発展していったのです。

しかし19世紀末から、経済社会を「事物自然の成り行き」に任せることは出来ないという強いリアクションが資本主義世界に現れてきました。「自由主義のままではとうていありえない」というリアクションは、ひとつには、英国より50余年も遅れて資本主義を発達させてきた英国以外の国々に、最初は「保護主義」という形で現れました。英国に対抗して自国の資本主義を発達させるには、英国のいうような自由主義には従えないと。ドイツ、米国に、特にそれが強く現れたといいます。もうひとつは、英国それ自身です。19世紀末にこれまで10年程度という周期で回転していた景気が、突如まったく回復しないようになりました。「不況の継続」です。英国史上1873年から20数年間を「大不況期」と呼んでいます。(後年の世界史は、大不況というと米国の1929年を指すようになりました。最近の人々が大不況というと、2008年リーマンショックを指すことが多いようです。しかし世界史的には、大不況とは、1873年から20数年間の英国の不況でしょうよ。)英国のような資本主義先進国でも、経済社会は資本主義の経済恐慌に耐えることは出来ないので、政府が経済社会のありように干渉して、「とにかく経済恐慌が起きないように防ぐこと」が大事であるということになってきました。先進国でさえそう考えるのなら、ドイツや米国のような資本主義後進国も「政府が恐慌防止に働く」ことに何の違和感もありませんでした。

経済社会が政府の干渉の下にあって経済恐慌を強力に防ごうとするのですから、もう20世紀の世界には、19世紀のように10年ごとに経済恐慌が来るということはありません。(来ようとする恐慌を政府が必死に止めるのです。)だから19世紀的な意味では「周期的恐慌」は20世紀にはありません。しかし経済恐慌がまったくなかったのではないことは、20世紀の経済史がよく示しています。恐ろしいのは突発的にやってきてすべてを押し流してしまう「大恐慌」で、こういうのは大戦争とほとんど同じ位の災禍を経済社会にもたらしますね。その最たる実例が米国にはじまった1929年世界大恐慌ではありませんか。もし日本が1941年にハワイを急襲して太平洋戦争にならなかったら、米国の経済社会はこの大恐慌の災害から脱し切れなかったでしょうね。今になれば、「戦争が米国を救った」と回顧する人がいても誰もはかばかしく異議を唱えませんよ。

この20世紀の「新しい資本主義」を何というか。私は「国家資本主義」とよぶのがいいと思います。政府の経済社会への干渉が基本になるという点で、20世紀の資本主義は19世紀の資本主義とはすっかり一線を画するからです。堺屋太一さんが『凄い時代』の中で、21世紀の「知価社会」と対比して「近代産業社会」と言われるのは、直接にはこの20世紀の「新しい資本主義」を指しているものだと私は思います。この記事はいったんここで切りましょう。すぐ続きを書きますから。