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2016-04-09 22:29:00

2008年リーマンショックは、「知価社会」らしい最初の恐慌だ、と書いた。これは堺屋太一が『凄い時代』講談社、2009年で言ったことの受け売りである。

そうすると、私は次のような疑問を感じることになる。この「知価社会」の恐慌は、今後繰り返して起こるものであろうか。また、もし繰り返すものなら、何年おきに繰り返すものであろうか。このように疑問を立てるのは、実は経済史に前例があるからである。これは堺屋も知っていることだろう。資本主義経済は19世紀にまず英国で確立されたというが、経済史では英国の1825年恐慌を、英国資本主義確立の指標と考える。そしてその後約10年に一度の割で恐慌が来ることになった。要するに10年で一回転する経済循環(景気循環)が19世紀英国に現れた。これも有名な話であろう。だからこの19世紀英国とのアナロジーで言うと、リーマンショックが「知価社会」という新たな社会の恐慌だというのなら、この恐慌は自然には「繰り返すものなのでしょうかね」と伺うのである。(ことばを変えると、知価社会というのは、循環する社会・ないしは再生産する社会、なのですかねと、伺うのである。)

疑問の趣旨はもっともだが、そのことは、いま論理的にどうということはできないのではないか、現実の経済の歩みを経験しながら帰納するものではないのか、というのなら、「ご説ごもっとも」と申し上げる。19世紀英国の1825年恐慌にせよ、10年おきの恐慌にせよ、後年盛んに理論化されることになったが、それは当然に19世紀英国史の現実の歩みを見ながら行なわれたのだった。してみれば今度の「知価社会」とかの恐慌についても、これからの現実の世界的経済史の観察がなければ単純に理論化できるものではない。

そこでいま経済世界は、息を詰めて、リーマンショック的な金融恐慌が果たして再びやってくるものかどうか、戦々恐々様子を見ているのではありせんか。ちょうどリーマンショックが来た2008年から起算すると今年は8年目なのです。19世紀英国史のアナロジーでいうと、そろそろ10年目になるのです。しかもまーひどいことに、19世紀の1825年恐慌のような場合には、たしかに恐慌は経済社会に深い落ち込みは作ったが、数ヶ月程度で回復し、一旦回復すると力強い勢いで以前を上回る経済発展をしたんではありませんか。ところがこの「知価社会のリーマンショック」は、たちが悪いことに、この回復のために「超低金利(いえ往々にしてゼロ金利)」を2015年まで続けてきたのですよ。これではあまりにひどすぎるというので、米国連邦準備銀行が恐る恐る「普通の金利政策」に戻そうとしている(まだ戻したとはいえませんけどね)わけでしょう。

世界の指導者が恐れているのは、この凄い超低金利・金余りジャブジャブ金融が突然経済社会を活気付けてぐんぐん高度成長を始めると、この「成長」がどんな結果を招くのかが恐ろしいのです・いちばんありそうなのがもう一度金融恐慌を、それもリーマンショックを何倍も上回るような金融恐慌を招いたらどうなるかということです。そういう状況になったときに中央銀行が手綱を絞るには、正常な金利政策が必要だろうと思うわけなんです。だから早く「普通の金利政策」に戻ろうとしているわけなんでしょ。しかしどの国も一度に普通の金利政策に戻るわけにはゆくまいから、まず米国の中央銀行が優先的に普通の金利政策に戻ってゆく。ヨーロッパや日本はそれを邪魔したり、それをやりにくくしたりしないで下さいよ、というメッセージを米国は盛んに発しているわけでしょ。それだけわかっていれば、別に国際会議もなにも開かなくたっていいんです。このような米国は、「マイナスの金利」政策などとるはずがないのです。

だけど、最初に戻って、私の疑問自体は正当ですよ。たしかにまだ経験はなくとも、19世紀史と比べたアナロジーは可能だし、それはそれで物事を考える手助けにはなるのです。もうひとつ、私は意見を保留していました。20世紀にはこれはどういう議論になりますか。