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2016-03-12 13:29:00

2016年3月12日、土曜日、午後1時。札幌の天候。朝から曇り。0度前後。断続的に小雪。うっすらと積雪する程度で、車の通行には差し支えない程度。なかなか春にならない。

マイナス金利の天気予報。経済社会の組み立てを、法人企業のありようを中心としてみる、という、大変のんびりした態度を続けて取っている。前回法人企業に勤務する人間を育てる高等教育機関を話題にした。米国であれば、それがビジネススクールである。これは大学院大学のようなものである。日本でも経営学の高等教育機関が1960年代ぐらいから話題になってきた。しかし今日に至るも、このような意味での経営学を主体とした理論的かつ実践的高等教育機関は、(すくなくとも圧倒的話題になるような学校は)皆無とみてよかろう。

我が国には戦前から高等商業学校が発達しており、戦後にこれらは商科大学として発展を続けている。また、高等学校のなかに特別の種類として商業高等学校が設立され、これが各地で発展してきた。法人企業へ勤務する専門人の養成機関として、この商業高等学校(高校程度)-商科大学(大学程度)が、非常に活躍してきたことは周知のところであろう。もちろん一般の高校、大学からも、法人企業を支える人材が送られている。

北海道の場合、小樽商科大学(戦前の小樽高商)の名は、特筆大書されてよかろう。私は昔新潟県の人にこんなことを聞いた。戦後間もなくの話として、「新潟県の青年にとっては、同じ日本海側の北端にある小樽商大に入るのが、夢だった。」今日でも小樽商大の卒業生の人脈は、厚く、広い。(単科大学で、学校規模が小さいのにね。)

なにしろ、伊藤整や小林多喜二を出したというほど、文学への広がりすらあった。(もっとも多喜二は、銀行員としてスタートしている。)

小樽商大にいた木曽栄作の商業英語は、キソのコレポンと言われて、全国的に盛名を謳われた。うんぬん。

日本人としては、別個にビジネススクールなぞいらなかった。

この学校が生み出した商業英語の教師の中に、立派な英作文教育ができる人々を輩出していたことは、触れて置いてよかろう。