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2016-03-10 09:52:00

2016年3月10日木曜日、午前10時、札幌の天候、薄曇、0度前後の気温、風なし。降雪の天気予報が出ていたが、今のところ雪は降りそうもない。

マイナス金利の天気予報。前回、電気の発電と配電の話題に触れた。あるいは私は、社会的なリスクに敏感過ぎるのかもしれない。しかしいざというときには、結果が庶民の負担に終わる場合が多すぎた。

社会的なリスクといえば、私は1997年当時を思い出す。当時の日本は金融機関が危機の様相を示した。山一證券が破綻した年である。しばらく前までは貸し出し金利が8パーセントあるいはそれ以上であったものが、ぐんと安い金利になっていた。(以前の高い金利で契約していた人々はとうてい持ちこたえられなかった) 当時うちは北海道拓殖銀行からアパートローンを受けたが、そのときのことをよく覚えている。当時BISが国際的に活躍する銀行に対する自己資本金率を引き上げていた。私はこのローンの当事者ではなかったが、たまたま席にいたので、居合わせた拓銀の行員二人に聞いた。「資本金規制などもあるようですが、状況に困って貴行が倒産するようなことは、まさかないでしょうね」  行員二人は即座に大笑いして、「拓銀が倒産することはありえません。」と言う。拓銀が洞爺湖のそばに大きなホテルを建設して、「インキュベータ路線」を呼号していたのは、つい最近であった。ただ私の心の中に、日本で都市銀行15位になるこの銀行への、もしやという疑いがあった。

その後程なく拓銀が支払い停止のやむなきに至ると大蔵省にかけこみ、結局(当時であれば第2地銀の)北洋銀行に吸収されるに至った。

ところでこのとき、実はある大問題が起こっていた。拓銀は「債権を証券化して外国に売り出す」ということをすでに行なっていたが、ここで拓銀が倒産してしまうと、拓銀が外国に売った証券のありようが問われる。(日本としては海外に売るこの手の証券の最初の例だったという)おそらくは大蔵省がなんらかの手立てを講じて、結局この証券を海外から買い戻した。

しかしこのような運命をたどる原契約(のひとつ)になるには、実はこの原契約の内容に問題があったそうで、この件は後日某学会に発表された。したがって今詳しく知りたいという者はその某学会関係からしか情報は得られない。

この原契約は後に白紙になって、不動産もちゃんと戻ってきた。しかしもし大蔵省が当時何らかの配慮をしなければ、当時いろいろの拓銀なにやら証券の帰趨が問われたが、「当事者自己責任」とされる公算も大きかった。

現代は恐ろしい時代である。国民は常々、前代未聞のリスクにさらされる。