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2016-03-08 23:32:00

2016年3月8日、火曜日、午後11時、札幌の天候。定温、曇り、風なし、雨も雪もない。

マイナス金利の天気予報。ネットを読んでいても、あるいは最近身近で会って話をしている人々の様子からも、人々が追い詰められてどこかへ走ろうとする気配を感じる。

それが妥当か、否か、ということは、今は問わない。

ただ、同時に、内心こうも思っている。今のこの経済社会は、なにかのきっかけで突然崩壊するようなことがあってもおかしくない。

現社会の中心になっている存在は、法人企業である。この法人企業の意義やありようやを今よく吟味しておくことは、崩壊した経済社会を新たに作り直す場合に、こよなく参考になるであろう。

いったい普通であれば、社会の崩壊を招きそうな事態を、心ある指導者は避けるものである。それがそういう危機を避けないのは、ことほど左様に何事かに追われているのであろう。かつて日本人ほど銀行を大切にしてきた国民はなかった。ご存知だろうか。かつて戦後の大インフレ期に、インフレ率を上回る民衆の銀行預金の伸びがあって、これが戦後日本のあの高度成長を支えたのだ。民衆の信じるものをなにか目先のつまらない手柄と引き換えに失わせるとは、およそ信じられない話。いまへたマゴするとゆうちょがつぶれてしまうが、いったいなにをやっているんだろうね。

いま読んでいる本から引用する。「20世紀初めに成立した合衆国の巨大法人企業は、チャンドラー・ジュニアによれば、生産過程だけでなく、製品の販売、原料の仕入れ過程をも、したがって企業活動の前提となる市場の一部をも、当該企業の一事業部門として内部化した企業となっていた」うんぬん。楠井敏郎『法人資本主義の成立』日本経済評論社、1994年、18ページ。昨日だったか、「外部市場の内部化」という法人資本のぶっきらぼうなありようを示したが、この引用箇所はそれがなまのままでているところが面白い。

なに、こんな単純なだけのものではありませんぞ。