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2016年3月6日、日曜日、午前0時、札幌の天候。3月5日は、一日、日照があり、穏やかな天候だった。今日は午後から雨と予報されており、また、気温が急に高くなって本州並みになると予報されている。そうなると気になるのは、大水の危険がないかということだ。なにしろ各家庭が家の脇に大きな雪山を持っているからである。この雪山が急に溶け出すということになれば。また、下水の排水がうまく行かないということが起これば。大惨事は免れない。
マイナス金利の天気予報。法人企業が存在する経済社会の構造を考えてみようとした。架空の話ではない。現在の私たちの経済社会の組み立ての性質を、観察しようとしているのである。
この「お知らせ」欄がまるでブログ同然の視聴率を示しているので、驚いている。
こういうことをこの経済構造に関連して、書いておきたい。1. この「法人企業」の内容は何か。2. なぜこの「法人企業」が経済社会の中心になるのか。3. 商業世界の性質。4. それ以外に何が「流通」するのか。5. この世が「あの世」化しようとしている経済社会。
この「法人企業」の内容。ずばり、今の日本であれば、「東証第1部上場企業」を中心とする企業社会と考えてよかろう。そうすれば「第2問、なぜこの法人企業が経済社会の中心なのか」は愚問となる。現にこのような「法人企業」が、自他共に認める日本の経済社会の中心であろう。なぜかって。ここが現在の「生産・流通・分配・生産的消費」の、いってみれば独占者であろう。国民的消費の提供者であろう。大所高所からみて、そうではありませんか。
商業世界は、三種類ある。1. 商品A、生産要素市場、あるいはたんに「要素市場」と称する。法人企業が国民から「労働」および「土地」という生産要素を買い入れる(内容的には借り入れる)市場ということになる。(要素市場の名でひとつに括るのは、乱暴だとは思いますよ。)2. 商品B、生活資料およびサービスの販売市場。なにしろ郊外にひしめく大手スーパーにすっかり牛耳られている感があります。パパ・ママ・ストアなど、いまや、探すほうがたいへんだ。「ご近所」といったって、あるのはもっぱら大手の「コンビニ」でしょ。屋台のおでんやだの、焼き芋屋だのですら、そうどこにでもありはしない。「サービスの販売?」と奇異に思われるかもしれないが、いまや各家庭が、大手企業の雇用する臨時雇いの人々の大群の「サービスを買っている」んじゃありませんか。代金は会社に払うので、その方々の手には直接は渡らないんですけどね。人々はいまでは自分達の「サービス」を直接(買うのではなくて)自分達で利用することすらしにくいのです。
この中で、中心になるのは、3の商品Cの市場、です。法人企業どうしが生産設備や原材料を売買する市場です。「卸売り市場」とか「卸売り物価」とかいうのは、この市場を中心にします。従来であれば、ここが、商業手形の流通する世界で、商売の中心になっていました。日本銀行が「健全な通貨」を発行する場合にも、商業手形の世の中の発行量・流通量を基準にしていましたものね。(商業手形が企業社会の大動脈であった時代は徐々に、1960年代ごろでしょうか、しぼんできて、別のものに席を譲ってゆきます。まー、これを「企業間信用」と呼ぶのなら、企業間信用が急になくなりはしませんけどね。ただ、商業手形という形式をとらなくなった、というしかない。技術的には、直接の口座振替で法人企業が決済するようになった、といっておきましょう。)
この商業手形全盛時代というのは、それだけ個人資本家がまだ勢力をもっていた時代、ということになります。いま「個人資本家」はどうなったのか。これまた当代には、名目上は「法人企業」になっている場合がほとんどなので、ややこしくなります。しかしこれまた自他共にほんとうの法人企業などとは誰も考えていないのも確かです。たとえば、青色申告企業のうち全国で60パーセントだか70パーセントだかが、常時赤字企業だというのだが、これがまともな「法人企業」でしょうか。
なにしろこの商業手形世界というのは、従来の経済社会の秩序の中心でしたので、当代の社会の性質を観察するためにも、当代との丁寧な比較が欠かせないのです。それに日本国民の多くが、長い年月を掛けて生きてきたから、その都度の自分の人生の知恵の経過を経験している。いきなり当代の、そしてまったく当代にしか通用しない常識で語られても、わけがわからないのです。ゆっくりと主要な「経過」を入れて語れば、話の要点がすぐにわかります。