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2016-03-03 15:14:00

2016年3月3日木曜日、午後2時、札幌の天候。午後になったら雪が降り始めた。これでもし強い風が伴うと、たいへんな天候になるかもしれない。ひな祭りだというのに、なかなか春がこない。

マイナス金利の天気予報。前々回、19世紀のイギリスで大土地所有者階級(地主階級)が社会の調整者の役割を果たしたと書いた。

それにしても、「資本主義が世界史的に典型的に確立した」というイギリスの資本主義は、20世紀に向うころには様々な問題点が生じてきた。19世紀の「自由放任主義」は続かず、20世紀には国家が経済過程の直接の調整者として現れるに至る。

1. イギリスに遅れて資本主義世界に参入してきた諸国は、国家が直接に経済過程を支配する政策をとってイギリスを負かそうとした。

2. 経済社会の規模が拡大してくるのに伴い、景気循環という資本主義のメカニズムが社会的に苦痛になってきた。よしんば資本主義が継続しえても、激烈な経済恐慌に社会がますます耐えられない。国家が直接に経済過程を調整することによって社会を救おうとした。(19世紀末の1870年代にイギリスを襲った大不況は、二十数年継続し、社会的大問題とされた。)

3. 国家が経済過程を調整するありようは、国によってありようは違っても、20世紀の世界に共通の現実である。たとえば管理通貨制度。資本主義の貨幣制度は金本位制度であったが、20世紀に入ると管理通貨制度が通例となってきた。

4. 重化学工業の勃興期に際会したこともあって、19世紀には公益的にしか適用しなかった株式制度を、営利企業にも適用するようになった。しかしとりわけアングロサクソン資本主義では、国家が経済過程と社会過程を調整するありようのもとに株式会社の運用は制約されるという原則が生まれている。たとえば、競争政策(反独占政策)。これはだれでも知っているだろう。もうひとつある。国家が労働者に対して、営利化した株式会社に対抗しうるような強力な社会権を与えるという政策。

楠井敏郎『法人資本主義の成立・20世紀アメリカ資本主義分析序論』日本経済評論社、1994年、を読んでご覧なさい。

これはちょっとブックオフでは売っていないな。

それにしても、会社の「公益性」というのは、「会社が美術品を集める」ことに矮小化されるはずのものではないし、「儲けた人間が寄付すれぱいいじゃないか」という論法でもない。そもそも会社が自ら「公益性」を発揮することにあまり期待していないがゆえに、しかるべきありようを会社の外部から、国家が強制するしかない。会社の公益性にあたる英語は、PUBLIC RELATIONS だが、これを「会社が広告・宣伝すること」としか考えていないお粗末さ。「会社がヒトを雇ってあげることで社会貢献しているじゃないの」という能天気な言葉が「善意」で発せられるんだから、なにおかいわんや。

国家を支える人々が政治献金をたっぷりもらって営利法人を儲けさせることに励みながら、「経済政策つて、それ以外にあるの」とのたまうお粗末さは、言うも野暮なり。

ところで大土地所有者の存在は20世紀にはどうなったのか。いずれ、後で。