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2016-03-02 10:52:00

2016年3月2日、水曜日、午前10時。札幌の天候。房から薄曇で、暖かい。風もない。昨夜の積雪はごく僅か。期待通りなら、明日から気温が上がり、「札幌の3月」らしくなるだろう。

マイナス金利の天気予報。ずっと「経済社会の中軸」である株式会社を、根本的検討の対象にしてきた。前回、奥村 宏さんの法人資本主義論に関連して、株式会社論の、経済学とのかかわりを話題としているが、その場合の経済学は、たんなる「金かね勘定の経済学」では狭い。社会の調整者が誰か。19世紀イギリス資本主義では、地主階級が、「社会の調整者」であった。(いずれこれが20世紀にはどうなるのかという議論になろう。)

ここでいう19世紀イギリスの地主階級は、「都会に50坪ほど土地を持っている人間」なぞというものではない。かつての封建的貴族階級(旧地主階級)が変身したもので、近代的地主階級であり、歴史的には「大土地所有者階級」と呼んだほうが誤解がなくて済む。

この19世紀イギリスの近代的土地所有者階級が、現実に社会的に果たしていた役割を総括してみよう。

1. 国家財政の主たる負担者であった。(土地所有税いわゆる地租)

2. 国家行政の主たる支え手であった。(いわゆる名士支配。法律家。地方の行政官。政治家の人脈、戦時の指揮官の人脈、大学進学者)

3. 階級間の調整者であった。(資本家階級を牽制し、工場法や普通選挙法の成立を助けた)

4. 投資資産の主たる提供者であった。(英国国債コンソル債の主たる買い手。19世紀株式の主たる引き受け手)

5. 消費資源の主たる消費者・とくに奢侈品の消費者。(物品税の納入者。)

6. 生産要素の非生産的使用について、巨大な地位を占めている。

等々。

どうしてこんな階級が成立したかって? もともと封建制末期には、人民の私有権というものは、旧地主に地代を支払うことを前提にしなければ決して成立しないものであった。有名な経済表タブロ-・エコノミークの世界をみたらわかるだろう。市民革命(イギリスのピュアリタン革命、フランスの革命)のような暴力革命は、旧地主のこのような土地特権を剥奪し、社会的には近代的土地所有に変えたのである。市民革命によって土地特権はイギリスでは剥奪されたが、しかし近代的地代として残るのである。これが近代的大土地所有者階級の成立である。資本家階級、労働者階級と共に、19世紀イギリスの3大階級と言われた。

ケネー『経済表』岩波文庫、1961年 また、19世紀イギリス史についてのしかるべき参考書 を参照のこと。

いずれもブックオフでよく探せば、たいした値段でなく手に入るかもしれない。